謹賀新年2020

あけましておめでとうございます。

私も妻も元気で年を越しました。

晦日は、妻の提案で、実家の老母とすき焼きと天ぷらそばで年越し。今年で90歳になる母は涙ぐむほど喜び、郷里秋田の鳥追いの歌を披露しました。

今夜は妻の正月料理で新年を祝いました。

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雑煮は博多風の豪勢な海老入り。

妻が毎年作ってくれますが、今年のは特に美味しかった。

年越しの読書は、閉所恐怖症のオルフェウスが絵を描き上げられなかった、ところで春雨はどこへいったのという話。全四巻なのに年明け早々読み終わったしまったので、世界はないとかいう本に挑戦しようかなとか思っています。

ほんとうは、思わせぶりな哲学論議よりも、歴史書を気長に読みたい気分もあるけれど、諸般の事情でいたしかたなく。

ダイアリーから変わって不便になったので、あまり更新しませんが、今年もよろしく。

クリスマス・イブのご馳走

今年も妻がクリスマス・イブのご馳走を作ってくれた。

コーンポタージュ(私の好物)、鶏の骨付き肉のソテー、カリフラワーとオリーブの実のサラダ(オリーブの実の中にはアンチョビ)、そして私の買ってきたケーキ。

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クリスマス・イブのご馳走

うちの子も大喜びしている。

パソコンが古くなって、動くのにずいぶん時間がかかるようになったのと、それ以上に、はてなダイアリーからはてなブログに変わり、使い勝手が違ってきてしまったものだからほとんど更新しなくなったけれども、私も妻も元気です。

私が老母の介護に時間をとられるようになってから、これまで私が作っていた晩御飯は妻が作ってくれるようになりました。

そんなわけで、このブログのタイトルも変えなければいけないかもしれませんが、面倒なのでこのままにします。

Web評論誌『コーラ』39号のご案内

Web評論誌『コーラ』39号に〈心霊現象の解釈学〉第17回を寄稿しました。
今回は「ドゥルーズは幽霊を見たか」と題して屁理屈をこねましたが、結論部分がいささか投げやりな気がしてきたので、以下のように補います。
『哲学とは何か』におけるドゥルーズの解釈のベースとなっているのは、「知性による、死の不可避性の表象に対する、自然の防御的反作用」(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』)というアイデアである。知性は生の道具であるのに、その知性のもたらす死の必然という表象は、生を意気阻喪させ、ややもすると人をニヒリズムに陥らせる。これに対して、生命は知性を欺くニセの知覚を生みだし、人をしてニヒリズムの穴にはまらぬよう回避させる。これがベルクソンの言う仮構作用の原型である。
 ドゥルーズは、仮構作用によるヴィジョン(幻視)の例として、ユートピアのような場所(異世界)ではなく、精霊、神々、巨人のような人物を強調している。ベルクソンが『二源泉』で記録した、故障したエレベータの中から忽然と現れて、乗りこもうとした婦人を外に突き飛ばして救ったあの幻の人がドゥルーズの言う巨人にあたる。
『哲学とは何か』で、ドゥルーズの言うところをベルクソンの仮構作用説に沿って言い直してみる。
 グローバルな市場における知性である〈市場の-ための-思考〉が、われわれの生を脅かしている。この危険に対する防御反応として仮構機能がはたらく。仮構された幻視(被知覚態)は、グローバルな市場における知性である〈市場の-ための-思考〉が、われわれの生を脅かしていることの警告として現われる。いや、芸術家は、そのような幻視(被知覚態)を創造すべきだ、とドゥルーズは当為の言葉で言っているように読めた。

-------以下<転載歓迎>ですので、ご紹介くださいませ。----------

◆Web評論誌『コーラ』39号のご案内(転載歓迎)

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
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 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第17回●
  ドゥルーズは幽霊を見たか
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-17.html

  広坂朋信
  前々回(第15回)の終わりに、ベルクソンによる幽霊の理論、死者の幻の意
 義と発生についての説明を検討し、それは「幽霊は想像力の産物と言っている
 のに等しい」と書いてしまったが、これについては撤回する。
  G・バシュラールも「イメージの概念が大きな外延をえているベルクソン
 著作『物質と記憶』のなかでは、生産的想像力にわずか一度言及されているに
 すぎない」(『空間の詩学ちくま学芸文庫、p34)と言うように、ベルクソ
 ン哲学は想像力に大きな役割を与えてはいない。ちなみに、引用した文で「イ
 メージ」と訳されているのは、原書ではimageだが、ベルクソンが『物質と記
 憶』でこの語に与えた意味は独特で、現代の日本語には適当な訳語が見あたら
 ず「イマージュ」とカタカナ書きされるのが通例である。
  もっとも、バシュラールだけでなく、サルトルもこのイマージュを想像力論
 の文脈で受けとめて批判しているくらいだから、フランス人にもわかりづらい
 ものらしい。ベルクソンは、人間の感覚がとらえる物質の諸性質が物質そのも
 のと本質的に異なるものではない、つまり、カント流の現象と物自体の関係で
 はなく、部分と全体の関係にあるということを言おうとしてimageという語を
 用いている。
  もう一つ、言い訳を付け加えると、私がこんな誤読をしたのは、私の心霊学
 の関心のあり方に原因がある。
 (Webに続く)
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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第54章 夢/パースペクティヴ/時間(その5)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html 
 
  中原紀生
  夢のパースペクティヴの四次元をめぐる動態論の要点はふたつ、その一は
 「P4⇒P3」のヴァーティカルで力動的な関係性であり、その二は
 「P1⇔P2」のホリゾンタルで相互反転的な関係性にあります。
  このうち、「P4⇒P3」の垂直運動については、前章で参照した文献類の
 なかで、デュナミスからエネルゲイアへ、バーチュアルな潜勢態からアクチュ
 アルな現勢態へ、作るものから作られたものへ、ゾーエー(生死未分の根源的
 生)からビオス(個体的生)へ、見えない型(不可能な統合・無)から見えな
 い形(潜在的統合)もしくは見える型(可能的統合)へ、等々、様々な言い方
 で、(微妙な概念的ニュアンスの差異をはらみながら)、論じられていました。
 (私はここで「P4⇒P3」があらわすヴァーティカルで力動的な関係性と
 「デュナミスからエネルゲイアへ、ゾーエーからビオスへ、…」の関係性とが
 同型だと主張しているのであって、「P4=デュナミス、ゾーエー、…」
 「P3=エネルゲイア、ビオス、…」と主張しているのではない。)
  また、「P1⇔P2」の水平運動については、(「P4⇒P3」ほど多彩で
 ないにしても)、自己と他者との水平的で間主体的なあいだをめぐる議論のな
 かで言及されていたし、それに、第52章で取りあげた木岡伸夫氏の風景論にお
 いて、可視的次元の「原風景=型」と「表現的風景=形」との間に成り立つ関
 係性──第49章で引用した文章で、「種々の差異としての〈形〉から統一的な
〈型〉が誕生し、またその逆に〈型〉から無数の〈形〉が導出される、という相
 互反転の過程」(『風景の論理──沈黙から語りへ』)と規定されていたもの
 ──は、水平的と形容していいと思います。
 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html

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 ●連載「新・玩物草紙」●
  言語島/絵 金  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-43.html

  寺田 操
  言語の島(言語島)とは「ごく狭い範囲に限って他の言語を用いる地域が、
 海中の島のような状態で存在するもの」『大辞林』(三省堂)。山岳地方や隠
 里、無人島に近い群島、地域ごとの移住でそこだけでしか通用しない言語のこ
 となど。人が住まなくなれば消滅してしまう。言語島をゆっくりと反転させて
 みる。どこにも存在しない、存在しているが見えない「言語島」が立ち上がっ
 てくる。
  森見登美彦の長篇小説『熱帯』(文藝春秋/2018・11・15)は、最
 後まで読むことができない幻の本を追って本の内側に滑りこんだ男の不思議な
 冒険譚だ。孤島の浜辺に流れついた記憶喪失の男は、島々は魔王の「創造の魔
 術」の裡にあり、消えたり現われたりするのだと聞かされた。密林のなかの観
 測所、砲台のある島、地下牢の囚人、謎の組織学団、不可視の群島」の海図。
 世界と一体化したような海域で起こる謎めいた現象……。
 (Webに続く)
 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-43.html

 -------<転載歓迎>は、ここまで。-----------------------------------

9.14市民哲学研究会読書会『三つの革命』を読むのご案内

9.14市民哲学研究会読書会のご案内
『三つの革命』を読む

高橋哲哉氏(哲学者)を迎えて、『三つの革命』を読む。

■日時 : 2019年9月14日(土曜) 午後1時半~午後5時
■場所 : 東京都内(参加者には後日ご連絡します)
■定員 : 20名程度(先着順とさせていただきます)
■問題提起 : 高橋哲哉氏(哲学者)
■ご用意いただくもの
以下のテキストをあらかじめ用意し、必読の上ご参加ください。
佐藤嘉幸・廣瀬純『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチ
エ)

上記書籍の序論と結論を扱う予定です。

また、上記のテキストのほかに、参加者には当日用資料を事前に配布します。
当日の議論の焦点を示す短い記事です。
この当日用資料がメインとなりそうです。
参加申込者には、PDFで事前にお送りします。

■参加申込み方法
氏名を明記のうえ、以下のEメールへご連絡ください。
hirosaka@mbe.nifty.com】受付担当・広坂まで。

折り返しご案内を差し上げます。

■参加費用 : 運営諸経費実費として、1500円を戴きます。

■募集期限
定員になり次第締め切ります。あしからずご了承ください。

Web評論「コーラ」38号に「幽霊の理論──江戸編」寄稿

Web評論「コーラ」38号に「幽霊の理論──江戸編」と題して、根岸鎮衛『耳袋』所収の幽霊談について書いたものを寄稿しました。

なんだ「妖怪なしとも難極事」についてはふれていないじゃないかと突っ込みが入るかもしれませんが、妖怪は面倒臭いので、僕は扱わないことにしているんです。

出てくるのは幽霊さんだけです。

 

-------以下<転載歓迎>ですので、ご紹介くださいませ。----------

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第52章 夢/パースペクティヴ/時間(その3)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-52.html 
  第53章 夢/パースペクティヴ/時間(その4)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-53.html

  中原紀生
  小西甚一氏が論じた「反射視点」は、次の三つの次元において、これをとら
 えることができます。
  第一、『安宅』の「勧進帳の有無なんか、とても意識している余裕が無い」
 弁慶や、『隅田川』の「悲痛さが全心身に充ち満ちている」母のような「作中
 人物の現実」、すなわち身心の状況にかかわる次元。
  第二、シテが「当人の動作や状態をいちおう地謡の視点に移し、地謡という
 鏡に映った自分を謡う」と規定される、歌ないし語りの次元。
  第三、「自分自身から脱け出して、三人称の世界に位置をしめ」るシテの意
 識、あるいは「自分の心を観客の立場へ移し、その立場からさらに自分の演技
 をながめる」演者の心といった、語り手=見られる者と聞き手=見る者との主
 体間の関係性の次元、より一般的には、私のパースペクティヴと他者のパース
 ペクティヴが交換される次元。
  演劇としての能に着目すれば、次のように表現することができるでしょう。
 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-52.html

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 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第16回●
  幽霊の理論──江戸編
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-16.html

  広坂朋信
  (7月某日)なかなか寝付けず、やっと眠りについてうとうとしていたら、
 深夜、老母からの電話にたたき起こされる。玄関のドアをドンドンとたたく音
 がしたので起きて行ってみたが誰もいないのだという。お父さんが帰ってきた
 と言うのを、団地なので誰かが部屋を間違えたのでしょとなだめて電話を切
 り、時計を見ると午前2時半、既に日付はかわって亡き父の命日であった。あ
 の日、病院から知らせが来たのは午前4時前だったが、おそらくこの時間には
 すでに息をひきとっていたのだろう。
  ところで、こんな話がある。
 (Webに続く)
   http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-16.html

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 ●連載「新・玩物草紙」●
  競馬妄想辞典/世界の陰画  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-42.html

  寺田 操
 「自分の書くものについては競馬の話からはじめないと決めていた」と、乗峯
 栄一『競馬妄想事典』あおぞら書房/2018・6・26)――には、やはり
 ね、と納得させられた。「競馬以外から話をはじめる」を「あなたのコラムは
 これでいいんです」と懐の広いところをみせてくれた編集長との出会いは、
 「乗峯栄一スタイル」を実行・貫徹できるチャンスとなったことを考えれば、
 書き手としてのポリシーは大切にしないといけないことの教訓だ。
 (Webに続く)
 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-42.html

9.14市民哲学研究会読書会『三つの革命』を読むのご案内

9.14市民哲学研究会読書会のご案内
『三つの革命』を読む

高橋哲哉氏(哲学者)を迎えて、『三つの革命』を読む。

■日時 : 2019年9月14日(土曜) 午後1時半~午後5時
■場所 : 東京都内(参加者には後日ご連絡します)
■定員 : 20名程度(先着順とさせていただきます)
■問題提起 : 高橋哲哉氏(哲学者)
■ご用意いただくもの
以下のテキストをあらかじめ用意し、必読の上ご参加ください。
佐藤嘉幸・廣瀬純『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』(講談社選書メチ
エ)

■参加申込み方法
以下のEメールへご連絡ください。
hirosaka@mbe.nifty.com】受付担当・広坂まで。

折り返しご案内を差し上げます。

■参加費用 : 運営諸経費実費として、1500円を戴きます。

■募集期限
定員になり次第締め切ります。あしからずご了承ください。

私の妻は日本一

今日、妻が某武術の全国大会で、ある種目の演武で一位になった。

私の妻は日本一である。

大会は遠方で開催されているので、妻は明後日まで帰ってこない。

私は一人で妻の活躍をお祝いして、妻の居ぬ間にホラー映画を見ている。

妻は武術の達人なのに、『ゲゲゲの鬼太郎』にも眼をそむけるくらいとても怖がりなので、私は普段ホラー映画を観られないのである。

おめでとう、妻。

ちなみに昨夜の晩御飯はラーメン。

今夜は納豆ご飯に豆腐の味噌汁である。