仕事場のパソコンが壊れました

仕事場のパソコンが壊れました。

保証期間内だったので修理に出すことになりました。

このため十日ほど連絡が滞ります。

このあいだ買ったばかりのスマホで携帯メールは受け取れますが、長い文章は打てないのでご勘弁ください。

スマホのキーは私の指には小さすぎるのです。

会社のメインパソコンは元気で、妻がバリバリ使っていますので、仕事上のご連絡は会社のメールアドレスにいただければ確認できます。

教えはじめた大学の採点作業が終わって、さあ本業再開と気合を入れた途端にこのアクシデントで、いささかがっくり来ておりますが、パソコンでは出来ない仕事に専念することにいたします。

Web評論誌『コーラ』41号のご案内

昨日の晩ご飯は、スーパーで買ったお寿司とケーキでささやかなお祝い。

さて、Web評論誌『コーラ』41号に〈心霊現象の解釈学〉第19回を寄稿しました。

今回は「お化け屋敷と幽霊屋敷」と題して、としまえん(もうすぐ閉園)のお化け屋敷をマクラに欧米の幽霊屋敷について書いてみました。秘かに念願としていた、サルトル存在と無』に幽霊屋敷への言及があることについての指摘も不十分ながらかなえることができました。

あいかわらず、投げやりな議論で恐縮ですが、現代哲学と幽霊の微妙な関係にご関心のある方はご笑覧いただけると幸いです。

 

 --------------------------------------------------------------- 

 

◆Web評論誌『コーラ』41号のご案内(転載歓迎)

 

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html

 

  • PDF版『La Vue』No.1(1999/12/01)<ペーパー版からの復刻です>

  社会改造プログラムとしての投げ銭  松本功

  余りの方から割り算されて  加藤正太郎

  ドラゴンアッシュは「親離れ」の90年代型モデルある  田中俊英

  ヴァジラヤーナの封印について  森ひろし

  季刊『La Vue』への誘惑 山本繁樹

 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/LA01.pdf

 

  ----------------------------------------------------------------

 

  第56章 映画/モンタージュ/記憶(その2) 

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-56.html

  第57章 映画/モンタージュ/記憶(その3) 

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-57.html

 

  中原紀生

     ■小林秀雄に訊く──心眼と白光

  若松英輔氏は『小林秀雄 美しい花』に、「岩に刻まれた意味不明の碑文」

 を例に挙げ小林秀雄が、「「本文」というものは、みな碑文的性質を蔵してい

 て、見るともなく、読むともなく詠めるという一種の内的視力を要求している

 ものだ。」云々と、「読むことの神秘」(321頁)について述べた『本居宣長

 の叙述を踏まえて、次のように書いています。

 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-56.html

 

 ----------------------------------------------------------------

 

  • 連載〈心霊現象の解釈学〉第19回●

  お化け屋敷と幽霊屋敷

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-19.html

 

  広坂朋信

  夏なのだから、気のきいた怖い話でもお届けしたいところだが、今夏いちば

 ん怖いものは、コロナウイルス感染再拡大と政府の無策(愚策)だと、話のオ

 チはすでにみなさんのご想像の通り。これでは埋め草記事にもならない。

  とはいえ、話題が何もないというわけではない。最近ちょっと驚いたことが

 あった。自分がツイッターに投稿したつぶやきがバズったのである。とはいえ、

 リツイートと引用リツイートが1.6万、いいねの数が7.5万だから、著名人のツ

 イートに比べれば微々たるものだが、私のツイッターのフォロワーは228名だ

 から、そこから考えるととんでもない数だ。ご近所さんとの井戸端会議の気分

 でツイッターを使っていたので、万単位のアクセスには正直言ってびびった。

 (Webに続く)

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-19.html

  ----------------------------------------------------------------

 

  • 連載「新・玩物草紙」●

  映画はビデオで/手のレッスン  

  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-45.html

 

  寺田 操

 「映画はビデオでそして小さな自分の部屋で」と語るのは斎藤直人『私が愛し

 た十二人の美女たち 偏愛的女優論序説』日本図書刊行会/1999・9)、

 シネ・エッセイだ。石原吉郎桶谷秀昭への評論を上梓した硬派の論客・斎藤

 直人(1948~2019)をイメージすると心地よく裏切られる。映画は映

 画館で観るのが正統なら、ビデオやBSやパソコンなどでの鑑賞は邪道なのだ

 ろうが、何度でも再生できる一人シアターの楽しみ方をしているのだ。町には

 映画館はあったが、洋画を観るためには電車に揺られて都心まで行かねばなら

 なかった。洋画の世界を垣間見るのはTV放映と『スクリーン』などの映画雑

 誌。こうした同世代人のある種の共通した体験が「映画はビデオで」の贅沢な

 時間となる。

 (Webに続く)

 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-45.html

 

 ------------------------------------------------------------------

 

 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/ronko-archive.html.

 

 2020年度企画として今年度より、ネット上のWeb論考を編集部の判断により、

 適宜このサイトにリンクすることを企画いたしました。読者各位のお役にたて

 れば幸いです。

 いずれ論考数が増えてくれば、テーマ別に再編集する予定です。

 (Webに続く)

 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/ronko-archive.html.

 

  ----------------------------------------------------------------

 

近況

あんまり久しぶりだから書き方を忘れている。

昨夜は久しぶりに妻に晩ご飯を作った。

こちらの方は、毎週日曜日に母の夕食を用意しているおかげで忘れていなかった。

豚もも肉をフライパンで焼いた。味付けは酒で溶いたウェイパー、皿に盛ってからアクセントに食べるラー油を和えた。他に、サラダ(レタス・トマト・キュウリ)と、前の晩に妻が作った野菜スープの残り。

ある人の紹介で、この春から週に一日、大学一年生に文章表現を教えることになった。

何十年ぶりかで学生生活が楽しめると浮かれていたが、コロナのお陰で振り回されている。

ようやく先月から講義を始めたが、リモート授業である。大学まで出かけずにすむのは楽でいいけれども、プライバシー保護のため、顔なし声なしのズームミーティングで、学生さんの反応が全く分からない。私の話が通じているのかどうか不安になる。

講義内容を、事前にレジメとして通知しなければならない。名称はレジメだが、ほぼ全文を書き起こしているので、実質的には講演草稿に近い。これを毎週やると、まるで週刊誌に連載をもったようでたいへんだ。しかも担当編集者がいるわけでもない。

さらにたいへんなのが、毎回、提出される小作文の採点と講評。当初は、教室で書いたものを受け取り、その場で朱をいれて返すつもりだったが、コロナのお陰でいちいち文章にしなければならなくなった。これを二クラス、46人分、次の授業までに終わらせる。けっこうきつい。

大学からは、単位を落としてはいけないと言われているので、書かない学生さんには書いてくれるよう督励しなければならない。まあ、この点は本業でも同じなのだが。

それよりもなによりも、ズームだのなんだの、使い慣れていないインターネットのあれやこれを使わなければならないのは中高年にはかなりの負担で、ときどきヒステリーを起こしている。

この点については、学生さんの方が詳しくて、うまくいっていないときは指摘してくれるのが有難い。

そんなわけで、一カ月ほど本業の方が自粛状態になっていたが、そろそろ取り組まないと妻の機嫌が悪くなる、いやすでになっている。今日からやります。がんばります。

Web評論誌『コーラ』40号のご案内

Web評論誌『コーラ』40号に〈心霊現象の解釈学〉第18回を寄稿しました。
今回は「バートルビー、または目をさえぎるもの」と題して、前回に引き続きドゥルーズを読んでみましたが、いやあドゥルーズってわっからないですねえ。わかったつもりになっていた学生時代の自分がまぶしいくらいです(無邪気な笑顔)。
あいかわらず、投げやりな議論で恐縮ですが、現代哲学と幽霊の微妙な関係にご関心のある方はご笑覧いただけると幸いです。

◆Web評論誌『コーラ』40号のご案内(転載歓迎)

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
 ---------------------------------------------------------------
 
 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第18回●
  バートルビー、または目をさえぎるもの
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-18.html

  広坂朋信
   前回(第17回)、「ドゥルーズは幽霊を見たか」と題してドゥルーズによる
 ベルクソン仮構作用説の解釈を見た。
  ドゥルーズの『哲学とは何か』(河出文庫)におけるベルクソン解釈のベー
 スとなっているのは、仮構作用は「知性による、死の不可避性の表象に対する、
 自然の防御的反作用」(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』)だというアイデ
 アである。知性は生の道具であるのに、その知性のもたらす「死は必然である」
 という表象は、生を意気阻喪させ、ややもすると人をニヒリズムに陥らせる。
 これに対して、生命は知性を欺くニセの知覚を生みだし、人をしてニヒリズム
 の穴にはまらぬよう回避させる。これがベルクソンの言う仮構作用のプロトタ
 イプである。
 (Webに続く) http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-18.html

  ----------------------------------------------------------------

 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第55章 映画/モンタージュ/記憶(その1) 
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-55.html 
 
  中原紀生
  王朝和歌と映画との密接かつ隠在的な関係性について、──言葉を補うと、
 時代も離れジャンルも異なるふたつの領域における美的体験、つまり「詠歌体
 験」と「映画体験」とのあいだには、(それが本質にかかわるものか現象にす
 ぎないか、あるいは内的構造がもたらす必然か外的状況に依る偶然か、等々の
 詮議はさておき)、なにかしら見えない関係性が潜んでいるのではないか、と
 いう私の直観が告げ知らせる仮説をめぐって──、この論考群では、これまで
 からさまざまな箇所で(その多くは、いわば備忘録のようなかたちで)言及し
 てきました。
 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-55.html

  ----------------------------------------------------------------

 ●連載「新・玩物草紙」●
  雲をつかむ話/都市観察という方法  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-44.html

  寺田 操
 多和田葉子「雲をつかむ話」(『雲をつかむ話-ボルドーの義兄』講談社文芸
 文庫/2019・4・10)は、「人は一生のうち何度くらい犯人と出遭うの
 だろう」という衝撃的な書き出しではじまる。多和田葉子の小説は、ある種の
 言語実験も兼ねているので、物語を多層的な視点から読むことを強いられ、想
 像力が試されているようで読む前から緊張する。この文庫を枕辺で少しずつ読
 んでいるのだが、ストーリーを追っていくことで日常のストレスを発散するミ
 ステリーやサスペンスなどの愉しみからは遠い場所に連れだされるため、なか
 なか前に進めない。かといって別の本を読むとせっかく連れ出された場所から、
 最初のページに引き戻されるという気がして枕辺から遠ざけることはできない。
 書き出しの続きは「犯罪人と言えば、罪という字が入ってしまうが、わたしの
 言うのは、ある事件の犯人だと決まった人間のことで、本当に罪があるのかそ
 れともないのかは最終的にはわたしにはわからないわけだからそれは保留とい
 うことにしておく。」と、「犯人」と「犯罪者」とを区別することで、「犯」
 という漢字にまつわるさまざまな意味や姿態を、小説世界に組み込んでいく。
 意味は固定化されない、姿態は多層である、ということだろうか。
 (Webに続く)
 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-44.html

 ----------------------------------------------------------------

謹賀新年2020

あけましておめでとうございます。

私も妻も元気で年を越しました。

晦日は、妻の提案で、実家の老母とすき焼きと天ぷらそばで年越し。今年で90歳になる母は涙ぐむほど喜び、郷里秋田の鳥追いの歌を披露しました。

今夜は妻の正月料理で新年を祝いました。

f:id:t-hirosaka:20200101200144j:plain

雑煮は博多風の豪勢な海老入り。

妻が毎年作ってくれますが、今年のは特に美味しかった。

年越しの読書は、閉所恐怖症のオルフェウスが絵を描き上げられなかった、ところで春雨はどこへいったのという話。全四巻なのに年明け早々読み終わったしまったので、世界はないとかいう本に挑戦しようかなとか思っています。

ほんとうは、思わせぶりな哲学論議よりも、歴史書を気長に読みたい気分もあるけれど、諸般の事情でいたしかたなく。

ダイアリーから変わって不便になったので、あまり更新しませんが、今年もよろしく。

クリスマス・イブのご馳走

今年も妻がクリスマス・イブのご馳走を作ってくれた。

コーンポタージュ(私の好物)、鶏の骨付き肉のソテー、カリフラワーとオリーブの実のサラダ(オリーブの実の中にはアンチョビ)、そして私の買ってきたケーキ。

f:id:t-hirosaka:20191224220008j:plain

クリスマス・イブのご馳走

うちの子も大喜びしている。

パソコンが古くなって、動くのにずいぶん時間がかかるようになったのと、それ以上に、はてなダイアリーからはてなブログに変わり、使い勝手が違ってきてしまったものだからほとんど更新しなくなったけれども、私も妻も元気です。

私が老母の介護に時間をとられるようになってから、これまで私が作っていた晩御飯は妻が作ってくれるようになりました。

そんなわけで、このブログのタイトルも変えなければいけないかもしれませんが、面倒なのでこのままにします。

Web評論誌『コーラ』39号のご案内

Web評論誌『コーラ』39号に〈心霊現象の解釈学〉第17回を寄稿しました。
今回は「ドゥルーズは幽霊を見たか」と題して屁理屈をこねましたが、結論部分がいささか投げやりな気がしてきたので、以下のように補います。
『哲学とは何か』におけるドゥルーズの解釈のベースとなっているのは、「知性による、死の不可避性の表象に対する、自然の防御的反作用」(ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』)というアイデアである。知性は生の道具であるのに、その知性のもたらす死の必然という表象は、生を意気阻喪させ、ややもすると人をニヒリズムに陥らせる。これに対して、生命は知性を欺くニセの知覚を生みだし、人をしてニヒリズムの穴にはまらぬよう回避させる。これがベルクソンの言う仮構作用の原型である。
 ドゥルーズは、仮構作用によるヴィジョン(幻視)の例として、ユートピアのような場所(異世界)ではなく、精霊、神々、巨人のような人物を強調している。ベルクソンが『二源泉』で記録した、故障したエレベータの中から忽然と現れて、乗りこもうとした婦人を外に突き飛ばして救ったあの幻の人がドゥルーズの言う巨人にあたる。
『哲学とは何か』で、ドゥルーズの言うところをベルクソンの仮構作用説に沿って言い直してみる。
 グローバルな市場における知性である〈市場の-ための-思考〉が、われわれの生を脅かしている。この危険に対する防御反応として仮構機能がはたらく。仮構された幻視(被知覚態)は、グローバルな市場における知性である〈市場の-ための-思考〉が、われわれの生を脅かしていることの警告として現われる。いや、芸術家は、そのような幻視(被知覚態)を創造すべきだ、とドゥルーズは当為の言葉で言っているように読めた。

-------以下<転載歓迎>ですので、ご紹介くださいませ。----------

◆Web評論誌『コーラ』39号のご案内(転載歓迎)

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/index.html
 ---------------------------------------------------------------

 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第17回●
  ドゥルーズは幽霊を見たか
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-17.html

  広坂朋信
  前々回(第15回)の終わりに、ベルクソンによる幽霊の理論、死者の幻の意
 義と発生についての説明を検討し、それは「幽霊は想像力の産物と言っている
 のに等しい」と書いてしまったが、これについては撤回する。
  G・バシュラールも「イメージの概念が大きな外延をえているベルクソン
 著作『物質と記憶』のなかでは、生産的想像力にわずか一度言及されているに
 すぎない」(『空間の詩学ちくま学芸文庫、p34)と言うように、ベルクソ
 ン哲学は想像力に大きな役割を与えてはいない。ちなみに、引用した文で「イ
 メージ」と訳されているのは、原書ではimageだが、ベルクソンが『物質と記
 憶』でこの語に与えた意味は独特で、現代の日本語には適当な訳語が見あたら
 ず「イマージュ」とカタカナ書きされるのが通例である。
  もっとも、バシュラールだけでなく、サルトルもこのイマージュを想像力論
 の文脈で受けとめて批判しているくらいだから、フランス人にもわかりづらい
 ものらしい。ベルクソンは、人間の感覚がとらえる物質の諸性質が物質そのも
 のと本質的に異なるものではない、つまり、カント流の現象と物自体の関係で
 はなく、部分と全体の関係にあるということを言おうとしてimageという語を
 用いている。
  もう一つ、言い訳を付け加えると、私がこんな誤読をしたのは、私の心霊学
 の関心のあり方に原因がある。
 (Webに続く)
   http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-17.html

  ----------------------------------------------------------------

 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第54章 夢/パースペクティヴ/時間(その5)
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html 
 
  中原紀生
  夢のパースペクティヴの四次元をめぐる動態論の要点はふたつ、その一は
 「P4⇒P3」のヴァーティカルで力動的な関係性であり、その二は
 「P1⇔P2」のホリゾンタルで相互反転的な関係性にあります。
  このうち、「P4⇒P3」の垂直運動については、前章で参照した文献類の
 なかで、デュナミスからエネルゲイアへ、バーチュアルな潜勢態からアクチュ
 アルな現勢態へ、作るものから作られたものへ、ゾーエー(生死未分の根源的
 生)からビオス(個体的生)へ、見えない型(不可能な統合・無)から見えな
 い形(潜在的統合)もしくは見える型(可能的統合)へ、等々、様々な言い方
 で、(微妙な概念的ニュアンスの差異をはらみながら)、論じられていました。
 (私はここで「P4⇒P3」があらわすヴァーティカルで力動的な関係性と
 「デュナミスからエネルゲイアへ、ゾーエーからビオスへ、…」の関係性とが
 同型だと主張しているのであって、「P4=デュナミス、ゾーエー、…」
 「P3=エネルゲイア、ビオス、…」と主張しているのではない。)
  また、「P1⇔P2」の水平運動については、(「P4⇒P3」ほど多彩で
 ないにしても)、自己と他者との水平的で間主体的なあいだをめぐる議論のな
 かで言及されていたし、それに、第52章で取りあげた木岡伸夫氏の風景論にお
 いて、可視的次元の「原風景=型」と「表現的風景=形」との間に成り立つ関
 係性──第49章で引用した文章で、「種々の差異としての〈形〉から統一的な
〈型〉が誕生し、またその逆に〈型〉から無数の〈形〉が導出される、という相
 互反転の過程」(『風景の論理──沈黙から語りへ』)と規定されていたもの
 ──は、水平的と形容していいと思います。
 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-54.html

  ----------------------------------------------------------------

 ●連載「新・玩物草紙」●
  言語島/絵 金  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-43.html

  寺田 操
  言語の島(言語島)とは「ごく狭い範囲に限って他の言語を用いる地域が、
 海中の島のような状態で存在するもの」『大辞林』(三省堂)。山岳地方や隠
 里、無人島に近い群島、地域ごとの移住でそこだけでしか通用しない言語のこ
 となど。人が住まなくなれば消滅してしまう。言語島をゆっくりと反転させて
 みる。どこにも存在しない、存在しているが見えない「言語島」が立ち上がっ
 てくる。
  森見登美彦の長篇小説『熱帯』(文藝春秋/2018・11・15)は、最
 後まで読むことができない幻の本を追って本の内側に滑りこんだ男の不思議な
 冒険譚だ。孤島の浜辺に流れついた記憶喪失の男は、島々は魔王の「創造の魔
 術」の裡にあり、消えたり現われたりするのだと聞かされた。密林のなかの観
 測所、砲台のある島、地下牢の囚人、謎の組織学団、不可視の群島」の海図。
 世界と一体化したような海域で起こる謎めいた現象……。
 (Webに続く)
 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-43.html

 -------<転載歓迎>は、ここまで。-----------------------------------