中村雄二郎の『悪霊』論2

中村雄二郎悪の哲学ノート』を読んでから、ハンス・ヨーナス『生命の哲学』所収の「グノーシス主義実存主義ニヒリズム」という論文を読んで驚いた。

生命の哲学―有機体と自由 (叢書・ウニベルシタス)

生命の哲学―有機体と自由 (叢書・ウニベルシタス)

呆け中年が何をそんなに驚いたのかというと、この論文でヨーナスは自らのグノーシス主義研究をふりかえり、次のように言っているからだ。

ずっと以前にグノーシス主義の研究に取り組んでいたとき、私は、ハイデガー学派のもとで学んだ視点、いわばその「光学」によって、それまで捉えられていなかったグノーシス主義的思考の諸側面を理解する立場に自分がいることに気づいた。(ヨーナス、p378)

ヨーナスのグノーシス主義研究は、方法論的にはハイデガーの影響下に取り組まれたのである。
まず驚いたのはこの点だった。ヨーナス(ハンス・ヨナス)という人について何も知らなかった私は、中村雄二郎『悪の哲学ノート』での紹介のされ方と、『グノーシスの宗教』の邦訳者がユング派の学者だったことによって受けた印象から、彼が現象学派の一人であるとはまったく予想していなかった。
そしてもう一つ、博識をもって知られた中村雄二郎氏は当然このことは知っていただろうに、『悪の哲学ノート』でヨーナスのグノーシス主義研究を取り上げた際に、現象学の「げ」の字もハイデガーの「は」の字も挙げていなかったということにも驚いた。例えば、ヨーナスは学生時代にハイデガーの指導を受けてはいたが、それは大学制度上の形式的なことで、ヨーナスの学問の本質にはハイデガーの影響はなかった、というのでもあれば話は別だろう。しかし、そうではないのである。
さて、古代宗教から現代の哲学へと関心を移したヨーナスは、奇妙なことに気づく。

古代のニヒリズムとの幅広い対話は(少なくとも私には)、現代のニヒリズムの意味を規定し整理する際の手助けとなった−−ちょうど現代のニヒリズムが、過去に存在したその素性の知れない従兄弟を理解する準備となったのと同様に。したがって私にとっては、歴史的な分析の手段を与えてくれていた実存主義がそれ自体その分析の成果に組み込まれることになったのである。実存主義のカテゴリーがグノーシス主義という特定の素材に当てはまることをよくよく考えてみるよう私は促された。実存主義のカテゴリーは、あたかもあつらえて作られていたかのように、ぴったりだったのだ。もしかするとそれらは実際にあつらえて作られていたのだろうか?

古代のニヒリズムグノーシス主義/現代のニヒリズム実存主義、という対比が面白い。
なお、ここで言う「実存主義のカテゴリー」とは、『存在と時間』の頃のハイデガーの方法のことだろうと推定される。「実存範疇」という訳語もあったかと思う。
このように、ヨーナスのグノーシス主義研究は実存主義現象学系の枠組みでなされたものである。「ハンス・ヨナスの『グノーシスと古代末期の精神』(初版一九三四年)は、グノーシス主義をM・ハイデッガー実存主義的哲学の概念装置を使って解釈した画期的研究として名高い」(大貫隆グノーシス「妬み」の政治学』、p200)のだそうだから、そんなことも知らなかった自分が悪いと言ってしまえばそれまでだが、ドストエフスキー『悪霊』の世界をグノーシス主義に結びつけるにあたって、ハイデガー流の枠組みが前提になっていることに触れないのは、私自身の無知を勘定に入れてさえも釈然としない。読者に対して不親切だとか、そういうレベルの問題ではないように思うからである。
例えば、歴史的に限定されたキリスト教の異端思想としてのグノーシスに対して、「ハンス・ヨナス以来、グノーシスの「本質」とは何なのかを問題にする新しいアプローチが登場している。この場合には、歴史が直接には関係しないことになる。逆にいえば、時代や地域を自由自在に飛び回るグノーシス「系譜学」が、ヨナスのお墨付きによって可能になったということにもなる」(筒井賢治『グノーシス (講談社選書メチエ)』p9)、「グノーシスを人間の精神的な姿勢に還元するというまさにその哲学的なアプローチによって、ヨナスは「いつでもどこでもグノーシス」のような考え方にも道を開いてしまった」(筒井、前掲書、p207)と苦情を申し立てられてもいる。
ロレンスとドストエフスキーを並べて、そこにグノーシス主義を読み込もうとする『悪の哲学ノート』における中村氏の手法こそまさに「ヨナスのお墨付きによって可能になった」「時代や地域を自由自在に飛び回るグノーシス「系譜学」」であって、ここでハイデガーへの言及がないのはどうにも気になる。ちなみに『悪の哲学ノート』中、ハイデガーが登場するのは三カ所、レヴィナスについて論じるなかでちょっと触れられているだけである。モヤモヤした何故?という気持ちが晴れない。
あるいは、この『悪の哲学ノート』が執筆されていた八〇年代末から九〇年代初め(1989−1994)は、海の向こうで華々しく行われていたハイデガーナチス関与についての論争(1987年、ファリス『ハイデガーとナチズム』フランス語訳刊)が日本にも伝わってきた時期だから、その趨勢を見きわめるまでは迂闊なことは言わないという配慮だったのか、とか、つい余計な詮索してしまいそうだ。

追記

中村雄二郎先生がハイデガーとナチズムについて触れた文章を偶然発見いたしました。
現代思想」誌の1988年3月号「ファシズム」特集に、「西田幾多郎の場合〈ハイデガーとナチズム〉問題に思う」と題されたエッセイを寄稿されていました。
ゲスの勘ぐりから中村先生の痛くもない腹を探ろうとしたことに、先生とファンの皆様にお詫びいたします。