コジェーブの日本についての注についてのメモ

ある人に尋ねられて作成したメモ。長いのでお暇な方だけお目通しください。

概要

アレクサンドル・コジェーブのヘーゲル講義(第二版、原著1962)が『ヘーゲル読解入門―『精神現象学』を読む』として日本語訳されたのが1987年。同書に、歴史の終焉をめぐって、日本について述べた長い注がある。そこでコジェーブは、日本社会のスノビズムを歴史の終りの後の生活様式として、アメリカ以上に進んでいると評価し、西洋人はやがて日本化するだろうと述べた。このことは専門家の間では知られていたが、それが広く話題にされるようになったのは、1989年に、ブッシュ(父)政権下のアメリ国務省の官僚、フランシス・フクヤマの論文「歴史は終わったのか」が紹介されてからのことだった。この論文でフクヤマは、コジェーブのヘーゲル解釈に依拠しながら、イデオロギー対立は自由主義の勝利に終わり、政治理念をめぐる歴史の運動は終焉を迎える、と主張した。これが、東西冷戦の終焉を予言した格好になり、注目を浴びたのである。
戦後日本社会は、アメリカの経済的繁栄を目標にして経済成長をとげた。フクヤマの論文と、フクヤマが参照したコジェーブのヘーゲル論、なかでも日本についての注記は、経済的にアメリカに追いついた日本が文化的にも欧米に追いつき追い越したことをフランスの思想家が評価している、と受けとめられた。
その後、1992年には、フクヤマ論文を大幅に加筆した『歴史の終り』の日本語訳が刊行された。同書はその後、文庫版や新装版も刊行されるほどの売れ行きを示した。
この「歴史の終わり」ブームについての、当時の日本知識人の反応を以下に抜粋する。

柄谷行人

柄谷の反応は「歴史の終焉について」である。この論文とほぼ同趣旨の文章が、後年に書かれた「文字の地政学──日本精神分析」にもあるが、「歴史の終焉について」には「文字の地政学」にはない文言があるので、それを以下に引用する。
柄谷はコジェーブの注を引用したうえで、次のように述べた。

日本的スノビズムとは、歴史的理念や意味もないところで、空虚な形式的ゲームに戯れるような生活様式である。コジェーブはこう結論する。《最近開始された日本と西洋世界との相互交流が最終的に行き着く先は、(ロシア人をも含む)西洋人の「日本化」である》。むろん日本文化論としてみれば、こうした考察は、表面だけをなぞった紋切り型のものでしかない。しかし、コジェーブが「アメリカ」とか「日本」といっているのは、もともと実際のものではなく、ヘーゲルがそうしたように哲学的に反省された「原理」なのであって、そうでなければ滑稽な代物である。たとえば、「日本化」を「消費社会化」といいかえれば、コジェーブの考察はある妥当性と予見性をもっている。
というのは、一九八〇年代において高度情報・消費社会に入った日本にあらわれたポストモダン的な傾向は、ある意味で江戸時代の三百年の平和において洗練されたスノビズムの再現でもあったからである。それまで、日本の近代文学や思想は、基本的に西洋的な理念や意味を規範とし、いわば「人間的な主体」たらんとするものだったといってよい。
 八〇年代に顕著になってきたのは、逆に「主体」や「意味」を嘲笑し、言語の形式的な戯れに耽ることである。むろんそれはアメリカ的なポストモダニズムと無縁ではないが、コジェーブが見抜いたように、こうした生の形態にかんして日本人には「伝統」がある。少数の例外をのぞけば、現在の日本文学においてドミナントな傾向は、何一つ達成すべき理念や意味をもたない生を肯定すること、そして差異の戯れの結果としての無=関心(差異)にいたることである。
 一九七〇年の三島由紀夫の自殺は、コジェーブがいう意味での「自殺」であった。つまりそれは切腹や特攻隊を想起させるものだ。だが、八〇年代においては、三島の行為は、政治的な意味や伝統的なものと切り離されて、ポストモダニズムの先駆者として評価されてしまう始末なのである。だが、それこそが「伝統的」なのだといってよい。
 いうまでもなく、近代日本は「歴史的な」闘争や労働なしにありえなかった。それがないかのように見える時期には、いわば「江戸時代」的なスノビズムが復活する。西洋に追いつこうとしてきた日本人がなんらかの達成感や自己充足感をもったときには、そうなるのだ。それは八〇年代においては最も顕著になる。「世界と自己を理解する」思弁的必要性をもたないがゆえに、哲学も批評もスノビズムと化している。つまり、何をいおうと、装飾的な言葉の戯れでしかない。ポストモダン=ポスト歴史的な状態は、ある意味で、八〇年代の日本に実現されたのである。(柄谷行人終焉をめぐって』p148-149)

野家啓一浅田彰中村雄二郎

一方、哲学者の野家啓一は、フクヤマに対して冷淡である。「一昔前に流行したダニエル・ベルによる「イデオロギーの終焉」論議の二番煎じといえば言えるものである」とあしらっている。コジェーブについても、「コジェーブはここで、日本訪問から受けたカルチャー・ショックを彼自身の独特なヘーゲル解釈に強引に重ね合わせているにすぎない。そこにわれわれは、十九世紀ヨーロッパを席巻した「ジャポニズム」のかすかな残響を聴き取ることができる」(p140)と手厳しく批評している。

彼にとって、「歴史的進歩」はヨーロッパのものでしかなかった。それゆえ、コジェーブは「アジア的停滞」あるいはその極度に洗練された形態である「日本的スノビズム」の中に、「進歩」や「発展」に倦み疲れたヨーロッパの未来像を描き出しているのである。加藤尚武は「コジェーブにおける『歴史の終焉』は、『西欧の没落』という観念の変奏曲でもあるのだ」(『世紀末の思想』PHP研究所、一九九〇年)と述べているが、まさに正鵠を射た指摘と言うべきであろう。
 われわれはここで「歴史の終焉」をめぐる論議にこれ以上立ち入るつもりはない。ただ、言っておきたいことは、「歴史の終焉」というお題目に何らかの意味があるとすれば、それは「超越論敵歴史」、つまり「起原」と「テロス」に枠取られた特殊ヨーロッパ的な歴史哲学の終焉という意味においてだけだ、ということである。あるいはそれを「歴史の目的論」の衰亡と言い換えることもできる。だとすれば、それは現在の世界情勢やヨーロッパの未来像と直接結びつくような都合のよい話ではない。それゆえ、それら両者を短絡させたコジェーブやその後塵を拝するフクヤマの議論は、良く言えば文明批評、悪く言えば床屋政談の次元に属する話にすぎない。むしろ「超越論敵歴史」の終焉は、「歴史の始元」や「歴史の終焉」を大仰に説くような言説、すなわちヘーゲル=コジェーブ=フクヤマ的言説の終焉をこそ宣告しているのである。(『格闘する現代思想―トランスモダンへの試み (講談社現代新書)』p140-p141)

浅田の『<歴史の終わり>と世紀末の世界』は、東西冷戦の終焉という事態を受けて、「歴史は終わったか」という主題について、フクヤマを初めとして、ジジェク、サイードボードリヤール、リオタールといった、西側知識人と語り合った対談集である。
この対談集で浅田は、フクヤマからは「歴史の終わり」は仮説にすぎないという見解の他、フクヤマが自分の著書の日本語訳者の解釈についてあまり快く思っていないことなども引き出している。一方、浅田は、フクヤマの後で対談したジジェクやサイードとは、東欧や中東の状況を踏まえれば、「歴史の終わり」なんて非現実的だという趣旨の議論をしている。
中村雄二郎は、コジェーブ『ヘーゲル読解入門』日本語訳刊行の十年後、ブームを冷静に総括している。

フクヤマの議論の全体の方向としては、対社会主義圏との〈冷戦〉に勝利を収めた以後の、西欧型とくに英米型の民主主義社会の弛緩を克服することに関心が向けられている。それは、アメリカの市民、アメリカの知識人としては、抱くべき当然の関心であり、使命感であろう。が、もともとコジェーブの〈ポスト歴史〉論の持つ巨視的な展望の意味を考えるとき、われわれとして、そこから学ぶべきいちばん重要なことは、〈歴史の終わり〉論も含めた、〈歴史主義的思考〉の過大な囚われから免れることであろう。(『術語集〈2〉 (岩波新書)』p200)

野家、浅田、中村は、コジェーブによる問題提起の意義はある程度認めつつも、フクヤマに対しては批判的であった。野家は「「超越論敵歴史」の終焉」といい、中村は「〈歴史主義的思考〉の過大な囚われから免れること」と言っているが、両者ともほぼ同じことを言っている。リオタールの「大きな物語の終り」としてのポストモダン論の線で考えている。

東浩紀動物化するポストモダン

東浩紀の主著の一つ『動物化するポストモダン』は日本のサブカルチャーを分析した文化論として知られているが、その理論的枠組は実質的にコジェーブのヘーゲル論に依拠している。

八〇年代半ばの日本は、ベトナム戦争より続く長い混乱期にあったアメリカと好対照に、いつのまにか世界経済の頂点に立ち、バブルへと至る短い繁栄の入口に差しかかっていた。
 当時の日本のポストモダニストは、フランスの哲学者アレクサンドル・コジェーブを好んで参照していたが、この選択ほど彼らの欲望を如実に表しているものはない。第二章でもういちど詳しく説明するように、この哲学者は、ポストモダンにおいて考えられる社会形態として、動物化したアメリカ型社会と、スノビズムに覆われた日本型社会の二つのタイプを挙げたことで知られている。そしてそこでコジェーブは、日本に対して妙に好意的であり、西洋人のアメリカ化=動物化よりむしろ日本化=スノッブ化を予測していた。八〇年代の日本人にとって、当時の日本の繁栄は、まさにこの期待の実現に向かっているもののように思われたことだろう。
 これは言い換えれば、当時の日本社会が、前述のようなアメリカへの屈折を表面的には忘れることができたことを意味している。いまやアメリカに勝った、アメリカニズムの日本への浸透はもはや考えなくてもよい、むしろ日本主義のアメリカへの浸透を考えるべきだ、という風潮が思想的にはポストモダニズムの流行を支えていたのだ。(『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』p29-p30)

この東の記述は、八〇年代末からの日本の「歴史の終わり」ブームについては概ね妥当するが、「八〇年代半ばの日本」について「当時の日本のポストモダニストは、フランスの哲学者アレクサンドル・コジェーブを好んで参照していた」というのは、実際と食い違う。例えば、前掲の野家論文(1991)では、1987年に中村雄二郎がコジェーブに言及していたことを指摘して「慧眼である」としている。つまり、1987年当時の日本ではコジェーブの日本への言及に注目した人は少なかったということだ。日本でコジェーブの名が広く知られたのは、やはりフクヤマ論文が紹介された1989年以降のことだろう。したがって、上掲の東の記述は「八〇年代半ばの日本」ではなく、九〇年代初めの日本のことでなければ辻褄が合わない。
それはともかく、東は自著で「動物化」やスノビズムなど、コジェーブの概念を肯定的、積極的に用いている。

スノビズム」とは、与えられた環境を否定する実質的理由がないにもかかわらず、「形式化された価値に基づいて」それを否定する行動様式である。スノッブは環境と調和しない。たとえそこに否定の契機が何もなかったとしても、スノッブはそれをあえて否定し、形式的な対立を作り出し、その対立を楽しみ愛でる。コジェーブがその例に挙げているのは切腹である。切腹においては、実質的には死ぬ理由が何もないにもかかわらず、名誉や規律といった形式的な価値に基づいて自殺が行われる。これが究極のスノビズムだ。このような生き方は、否定の契機がある点で、決して「動物的」ではない。だがそれはまた、歴史時代の人間的な生き方とも異なる。というのも、スノッブたちの自然との対立(たとえば切腹時の本能との対立)は、もはやいかなる意味でも歴史を動かすことがないからである。純粋に儀礼的に遂行される切腹は、いくらその犠牲者の屍が積み上がろうとも、決して革命の原動力にはならいというわけだ。(東浩紀動物化するポストモダン』、97-98頁)

引用ばかり続くがもう一つ。

したがってここで「動物になる」とは、そのような間主体的な構造が消え、各人がそれぞれ欠乏−満足の回路を閉じてしまう状態の到来を意味する。コジェーブが「動物的」だと称したのは戦後のアメリカ型消費社会だったが、このような文脈を踏まえると、その言葉にもまた、単なる印象以上の鋭い洞察が込められていることがよく分かるだろう。
 アメリカ型消費社会の論理は、五〇年代以降も着実に拡大し、いまでは世界中を覆い尽くしている。マニュアル化され、メディア化され、流通管理が行き届いた現在の消費社会においては、消費者のニーズは、できるだけ他者の介在なしに、瞬時に機械的に満たすように日々改良が積み重ねられている。従来ならば社会的なコミュニケーションなしには得られなかった対象、たとえば毎日の食事や性的なパートナーも、いまではファーストフードや性産業で、きわめて簡便に、いっさいの面倒なコミュニケーションなしで手に入れることができる。そしてこのかぎりで、私たちの社会は、この数十年間、確実に動物化の道を歩み続けてきたと言える。前にも引用したように、コジェーブはそのような社会について、「蛙や蝉のようにコンサートを開き、子供の動物が遊ぶように遊び、大人の獣がするように性欲を発散する」世界になると予測していた。もし現在の爛熟し情報化した消費社会を見たとしたら、コジェーブはこの予測はほぼ実現されたと記したかもしれない。(東浩紀動物化するポストモダン』P127-p128)

こうして見ると「コジェーブを好んで参照していた」日本のポストモダニストとは、東自身のことではなかったか、と想像される。
東は新進のデリディアンとして論壇にデビューした批評家だが、基本的な発想はデリダよりもコジェーブに近いのではないか。
ちなみにデリダ自身は『マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル』でフクヤマの『歴史の終り』をこきおろし、コジェーブの日本についての「注」には「言語さえ話せず、ほとんど何も知らない遠方の国へ束の間の旅行をして帰り、断定的な診断をくだすという伝統もしくは「フランス人的特技」がある」と茶化している。