駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』35号が発刊された。
私の〈心霊現象の解釈学〉は、ユング『心霊現象の心理と病理』と、國分功一郎『中動態の世界』を題材に屁理屈をこねてみた。これでも表題に掲げたテーマに近付くための小さな一歩のつもりである。
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●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第46章 錯綜体/アナロジー/論理(その2)
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第47章 錯綜体/アナロジー/論理(その3)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-47.html中原紀生
■アリエッティ拾い読み
前章で引用した丸山圭三郎氏の文章(「深層意識のメタファーとメトニ
ミー」)に、「深層の言葉の特徴である音のイメージを媒介とした連合関係」
が、精神分裂病に特有の論理(推論)に通じていて、それをアリエッティは
「古論理的(パレオロジカル)」と呼び、フォン・ドマールスは「擬論理的
(パラロジカル)」と呼んだ、と書いてありました。
アリエッティの「パレオロジカル」という語に接したのは、記憶に残るかぎ
り鶴見和子著『南方熊楠・萃点の思想』が最初で、そこでは、西欧自然科学の
「因果律」と仏教の「因縁」を格闘させ、必然性と偶然性とを同時にとらえる
独自の方法モデル(「南方曼陀羅」と「移動する萃点(=交差点)」)を編み
出した(105頁)熊楠の思考が、アリエッティやパース(偶然主義)やユング
(マンダラ・シンボリズム)と並べて論じられていて、とても刺激的でした。
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●連載〈心霊現象の解釈学〉第13回●
自由間接話法と中動態
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広坂朋信
前回まで、中村雄二郎や真木悠介の用語法に引きずれて「アニミズム」とい
う言葉を使ってきたが、中村のあげるバリ島の魔女ランダにしても、真木の描
く石牟礼道子氏の姿にしても、アニミズムというよりはシャーマニズムという
言葉を使った方が実態に近いかもしれない。もちろん、「アニミズム」にせよ
「シャーマニズム」にせよ、その言葉自体は人類学者・民俗学者・宗教学者ら
観察者によってつくられた、理解のためのモデルであって、当事者の実態とは
ズレが生じるだろうことは当然である。そのうえでなお、アニミズムよりは
シャーマニズムだろうと私がいうのは、憑依ということを問題にしたいからで
ある。いささか独断的に言ってしまえば、心霊現象と呼ばれるもののうち、憑
依こそは最優先で考察されるべきものである。
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●連載「新・玩物草紙」●
無言歌/山本陽子の眼、草間彌生の目
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-39.html寺田 操
『生の根源をめぐる4つの個展 ―篠原道生展・山本陽子展・岡崎清一郎
展・春山清展』(足利市立美術館2017・8・4)を開きながら、本棚から
黒地に赤の『山本陽子遺稿詩集』(編集=坂井信夫・中村文昭・七月堂/19
86・5・20)をとりだしてみた。山本陽子について何本かのエッセイや書
評を書いたことがあったのだが、遺稿を前にすると、いつも戸惑いが生じてい
た。生きている死者(詩人)から、解読を拒まれているような視線を感じるの
だ。
(Webに続く)
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