今年は散々な年だった。

今年は散々な年だった。
パーキンソン病レビー小体型認知症を併発して自宅療養中の老母92が要介護5となり、前から申し込んであった特別養護老人ホームに入居できる順番が回ってきた。
コロナ感染予防のため面会ができないことに不安を感じながらも、施設のケアマネから「今がチャンスです」と営業マンのようにあおられ、医師や看護師からも「自宅介護はそろそろ限界」と言われていたので入所を決めた。
迷ってはいた。返事を一週間延ばして、母とも何度も話した。
というのは、レビー小体型認知症の母は意識のはっきりしている時間が短いので、きちんと話し合えるタイミングを見計らう必要があったからだ。
レビー小体型認知症の老母とバカ息子の珍問答は以前書いたのでご覧あれ↓
バーチャンリアリティ
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-22.html

母にどうしようかと尋ねると「お前がよいと思うようにしてくれ」と言ってくれた。
せっかく母が「お前がよいと思うようにしてくれ」と正しい忠告をしてくれたのに、私は医師や看護師や施設の勧めに従った。
人の言葉に従っただけなのに責任は私にある。母に忠告されたのに、人の言葉に従った責任が私にはある。
4月の終わりに近所の特養に母を入所させ、母に会えるのは月に一度の大学病院への通院の時だけになった。
不安は現実のものとなった。
5月の通院で脳梗塞が見つかり、そのまま大学病院に検査入院。
入院した病院で肺炎を発症、意識不明。
母自身はコロナ感染症ではないが、病院全体がコロナ感染予防のため面会謝絶。
どういう状況かわからぬまま、高齢だから仕方がない、もう手の尽くしようがないという病院側と押し問答を続けているうちに、母の肺炎は原因不明のまま治ってしまった。
肺炎が治ったはよいが、誤嚥性肺炎という見立てのため食事をさせてもらえず鼻からの経管栄養と痰の吸引が必要となった母は特養でも自宅でも引き取ることができない。
大学病院は、肺炎は治ったのだから早く出て行ってくれと言わんばかり。
腹は立ったが背に腹は代えられず、7月に看護師の常駐する老人ホームに入所。
ほっと一息つく間もなく、誤嚥を警戒する施設は経管栄養のままものを食べさせてくれない。水も飲ませてくれない。闘いが続く。
痰の吸引の邪魔だからと胃ろうにしたがるのは断固拒絶し、看護師の監視の目を盗んで、母の好きなコーヒーを一口、別の日はゼリーを一口、プリンを一口と少しずつ食べる量を増やしていった矢先にコロナ感染予防のため面会が15分に制限される。
とたんに母の気力が弱って、面会に行っても眠り込んでいることが多くなる。
その後、どういう基準かわからないが、面会時間が30分にもどり、根気よく話しかけていると、回らぬ舌で何か返事をしてくれるようになる。
そして先月、11月になって、施設に往診に来てくれる医師が、導尿管(バルーンと呼ぶらしい)をしている意味がないとして、それを抜いた後、意識がはっきりする時間が増えて、面会に行くと目を覚まして、聞き取れる言葉を発するようになった。
ジュースをスプーンで一さじずつ口に運ぶとしっかり飲み込んで「美味しい」というようにもなった。
ついにクリスマスには妻の買ってきたケーキの生クリームを食べて、「ああ美味しい」と喜んだ。
痰の吸引が苦しいらしく、「やめてくれ」「看護師を呼ばないで」と言うようにもなった。
実際、痰は目に見えるほど少なくなっており、これは施設の看護師も認めている。
治療を嫌うのは元気になった証拠でもあれば、治療者側のコミュニケーション不足の結果でもあろう。
母は話せるし話し好きだから話しかけてほしい、痰の吸引は必要な時だけにしてほしい、と申し入れる。
よし、この調子で正月には栗きんとんだあ!と張り切ったのもつかの間、一昨日夜から発熱し、抗生物質と解熱剤。幸いコロナではないらしい。
昨夜は目を開けて「心配をかけるねえ」と回らぬ舌で言った。
母が快癒しますように、無事に年が越せますようにと祈る年の瀬である。