「責任」という漢語

老子』の成立時期はいつ頃かというのは難問の一つのようだ。諸説あって、私のような素人にはなんとも判断がつかない。
けれども、『老子』は『荘子』に引かれている以上、『荘子』よりは先に成立していたと想定するのが自然だろう。ただし『老子』を引いている『荘子』が歴史上の荘周の筆によるものとは限らない。
孫子』もややこしい。『史記』によれば孫子と称される兵法家は二人いて、春秋時代に活躍した孫武と、その子孫で戦国時代に活躍した孫臏とがいて、現在『孫子』という題名で知られている書物の筆者がどちらなのか、よくわからないらしい。岩波文庫の解説者は戦国の孫子説、講談社学術文庫の解説者は春秋の孫子説である。
それはともかく、なんでそんなことを気にしているかというと、実は「責任」という語のニュアンスについて悩んでいたからだ。
現在使われている「責任」という漢熟語は、ヨーロッパの言葉(responsabilitéないしresponsibility)の翻訳語のはずである。
おそらく明治の頃に日本で作られた近代漢語だろうと思う(もちろん、清末の中国の可能性もある)。
ところが、ある会合で若くて頭のよい方に教えていただいたのだが、『広辞苑』には「責任」という語の用例として『荘子』が挙げられているのだという。
それならば、たとえ現在の「責任」が翻訳語だとしても、明治日本か清末中国の知識人の誰かが、もともとあった「責任」という熟語の語感を生かして、ヨーロッパ語に当てはめたということになりそうだ。
そこで、あらためて『広辞苑』を見ると、『荘子』天道編が出典とある。
あわてて『荘子』を開くと、天道編の2番目のパラグラフにそれらしい言葉がある。
「無為なれば則ち事に任ずる者、責めあり。」中公文庫
「無為なれば則ち事に任ずる者に責めあり。」岩波文庫
「に」があるかどうかの違いしかないので、これはもうこう読むしかないのだろう。
原文は「无為也、則任事者責矣」(无=無)。
見ての通り、「責任」という二字熟語は出てこない。「責」と「任」が離れている。
もっとも、「矛盾」という語の出典である『韓非子』にも「矛盾」という熟語がそのままあるわけではないので、気にすることはないかもしれないが、しかし、『韓非子』の「矛盾」は、二律背反という意味であって、「社会の矛盾」という時のこの語のニュアンスとはかなり違う。
「責任」という熟語にも、こういうズレはないのだろうか。『荘子』の「則任者責矣」と現代の「責任」は同じ意味だろうか。
試しに、偉大な漢文体系の検索機能で「責・任」と打ち込んで見たところ、『荘子』の他に、『老子』と『孫子』が引っかかった。
そこで、三者の成立時期が気になってきたのである。

荘子』、『老子』、『孫子』の成立順

ド素人である私に、専門家も首を傾げるような難問に答えが出せるわけもない。
しかし、単なる順番ならなんとかなりそうだ。
まず『荘子』天道編は、歴史上の荘周の没後、門人たちによって加筆編集されたと推定される外編中の一編なので、確実に『老子』より後だろう。
孫子』の著者が孫武であっても孫臏あっても、荘周より上の世代に属すのは確実なので、この場合、二人の孫子問題は回避できる。
本当に厄介なのは、後世の人の創作とも言われる老子の存在で、『史記』にも諸説あって決定打に欠ける。ただ、『荘子』にある老子孔子を教えたという記事は、やはり儒家を皮肉るために作られた寓話と見るのが妥当と思う。老子孔子の先輩であれば、『墨子』にも『孟子』にもその名が出てこないことは、あまりにも不自然である。
老子は、墨子よりも後の世代に属するのだろう。だが、孟子と同世代の荘子がその名を知っていた以上、孟子・荘周よりは上の世代だろう。ただ、それほど前ではないので、学派の違う孟子老子を知らなかっただけ、と見たい。
史記』には、老子の息子が魏の将軍になったとある。これを信ずれば、老子は戦国時代の初めの頃の人ということになる。
以上の妄想により、三者の順番は、『孫子』・『老子』・『荘子』ということになる。
以下、この順に見ていく。

孫子』勢編

孫子』勢編には次のようにある。

故善戰者、求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者、其戰人也、如轉木石、木石之性、安則靜、危則動、方則止、圓則行、故善戰人之勢、如轉圓石於千仞之山者、勢也、
ゆえに善(よ)く戦う者は、これを勢(せい)に求めて、人に責(もと)めず。ゆえによく人を択(す)てて勢(せい)に任(にん)ず。勢(せい)に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石(ぼくせき)を転ずるがごとし。木石(ぼくせき)の性(せい)は、安(あん)なればすなわち静(せい)に、危(き)なればすなわち動き、方(ほう)なればすなわち止(とど)まり、円(えん)なればすなわち行(ゆ)く。ゆえに善(よ)く人を戦わしむるの勢(いきお)い、円石(えんせき)を千仞(せんじん)の山に転ずるがごときは、勢(せい)なり。

「故善戰者、求之於勢、不責於人、故能擇人而任勢、任勢者」。
「善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。ゆえによく人を択てて勢に任ず。」
これも「責」と「任」が離れている。
「責」は「もとめる」と読むようだ。「任」の意味は、任せる、である。
この用法をもとに「責任」という語を考えると、「ある役割を担うことを要求する」、「要求された役割」、「役目を引き受ける」などのニュアンスがイメージされる。

老子』任契第七十九

老子』第七十九にはこうある。

和大怨必有餘怨。安可以爲善。是以聖人執左契而不責於人。有徳司契、無徳司徹。天道無親、常與善人。
大怨(たいえん)を和すれば必ず余怨(よえん)あり。いずくんぞもって善となすべけんや。ここをもって聖人は左契(さけい)を執(と)りて人に責めず。有徳は契を司(つかさど)り、無徳は徹を司る。天道は親(しん)なし、常に善人に与(くみ)す。

「責」だけあって「任」がない。
「左契を執りて人に責めず」は、「左契を執るも、而も人を責めず」とも読むようだ(木村英一訳・講談社文庫)が、意味はだいたい同じ。
「割り符の左半分を握っているだけで、人に督促して取り立てようとしたりはしない」(金谷・講談社学術文庫)。
どうやら「責」という字には、「契約の履行を迫る」という意味があるようだ。

荘子』天道編

広辞苑』が挙げる『荘子』天道編を再び引く。

無為なれば則ち事に任ずる者、責めあり。

天道編は、君主の心得を説いた章であり、この句もその文脈の中にある。
金谷訳「作為を働かさないでおれば、仕事にあたった人々がそれぞれに責めをはたす。」(岩波文庫
森訳「作為の営みがなければこそ、ことにあたって必ずその責めをはたすことができるのである。」(中公文庫)
「則ち事に任ずる者」が誰かが問題で、金谷訳では部下、森訳では君主自身になっている。
わたしのようなド素人には、どちらが適切かは判断できない。
ただ、この用法で「責任」という語を考えると、「責(もと)められた任務」、「任せられた責(つと)め」、というニュアンスのようだ。

サルトルの「責任」

比較のためにサルトルの「責任」を見ておく。もっとも、ここでサルトルの「責任」といっても、その思想の責任とか、彼の哲学の責任概念、というような難しい話ではない。
サルトルは『存在と無』(邦訳全集版第3巻、p273)で次のように言う。

われわれは、《責任》responsabilitéという語を、《或る出来事もしくは或る対象の、あらそう余地のない作者である(ことについての)意識》という一般に用いられている意味に解する。

《或る出来事もしくは或る対象の、あらそう余地のない作者である(ことについての)意識》が、サルトルの知っている《責任》responsabilitéという語の「一般に用いられている意味」なのである。
サルトル論を片っ端から読んだわけではないので確信はないが、この点について苦情が寄せられたという話は聞いていない。
「それはまさに私が為したことだ」、あるいは「それはまさに私が為すべきことだ」というのが、responsabilitéというフランス語のニュアンスに含まれるのだろう。
この「責任」と、『孫子』・『老子』・『荘子』に見た「責」と「任」の用法は、いささかニュアンスが違うように思う。
漢語の「責任」の原形は、義務とか任務に近い。
「それは私が」などと言えば、孫子からは「勢いに任せよ」と忠告され、荘子からは「作為をするな」と説教されそうだ。
だからどうだということではなく、今日はこの辺で。