版元・早川書房のサイト
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000240033/
本書の「まえがき」は次のサイトで読めます。
https://www.hayakawabooks.com/n/n4858f08933b3
第一章も全文公開されていました。
https://www.hayakawabooks.com/n/n31867e9b8061
読み始めるや、あまりに面白くて読み終えるまで紹介するのを忘れていた。著者の博識と明快な分析、その背後に霊視される熱烈な怪談愛に圧倒された。このジャンルで今年一番の収穫に挙げられるべき傑作と思う。
かつて怪談とは噂好きの人の口コミや怪奇趣味の作家の随筆などによって知られるものだった。インターネットの普及により怪談の語られ方、またその内容はどう変わったのかは興味深いテーマである。本書は現代の怪異怪談について精力的に研究を進めている気鋭の人類学者・民俗学者による待望のネット怪談論である。
第1章「ネット怪談と民俗学」で本書の方法論が説明され、第2章「共同構築の過程を追う」では実況型怪談の、第3章「異世界に行く方法」では異世界系怪談の特徴が具体的なネット怪談の事例に即して述べられる。第4章「ネット怪談の生態系」ではネット怪談を生み出した土壌であるネットの掲示板文化が分析され、第5章「目で見る恐怖」と第6章「アナログとAI」で現在進行形のネット怪談と将来の展望が述べられている。なお、第2章は一九九〇年代末から語り始められ、第3章は二〇〇〇年代半ばから二〇一〇年代にかけて、最後の第6章は二〇二〇年代で終わっている。つまり、本書はネット怪談の誕生から現在までのおよそ20年間をたどった現代怪談史でもある。
それではネット怪談の特徴とは何か。ネット上で共同的に構築された怪談なのだと著者は言う。口コミのうわさ話や都市伝説にも共同で構築する側面はあるにはあったが、それはもっぱら伝言ゲームタイプの変容だった。ネット怪談の典型例であるきさらぎ駅は、主な語り手である〈はすみ〉の投稿に対して、ほかのユーザーが質問や意見をはさみ、〈はすみ〉がそれに応答することによって物語が構築されていく。つまりネット怪談の「実況」はテレビやラジオの実況中継のような一方通行のものではなく、ほかのネットユーザーたちと共同で構築されるものなのだ。この共同構築について著者は「くねくね」「コトリバコ」「犬鳴村」などの事例を分析しており、そこでは民俗学自体も怪談の共同構築の一端を担っていることが指摘されていて興味深い。
ところで本書ではきさらぎ駅について「異世界系実況型怪談」と分類している。「犬鳴村」や「杉沢村」は異界だが、きさらぎ駅は異世界である。この「異世界」とは何か。従来の怪談論が使用してきた「異界」とどう違うのか。著者によれば「異界」は私たちの日常と地続きであるのに対して、「異世界」は「他界も含めた私たちの世界とは無関係なところ」だという。SF小説に出てくる異次元や並行世界に近いものだろう。この「異世界」の登場はネット怪談というより、21世紀の現代の怪談の特徴だろう。廣田の挙げる異世界系怪談の一つに「異世界に行く方法」がある。エレベーターで昇ったり降りたりすると何回目かに異世界に行けるのだという。私事で恐縮だが私の住む集合住宅でもある時期、エレベーターが途中階を行ったり来たりして管理事務所が掲示板に「エレベーターで遊ばないように」と注意を張り出したことがあった。地域の小学生たちのあいだで流行っていたらしい。
それはともかく、著者本人も熱心な参加者であったらしい2ちゃんねるオカルト板発の怪談をはじめ、莫大な知識量を注ぎ込んで執筆された本書はまさしく「日本のネット怪談の大まかな見取り図」(本書「まえがき」より)となっている。取り上げられた怪談についても要所でコンパクトに紹介されており、現代怪談に詳しくない読者でもわかりやすい。気になるのは「まとめブログ」などに再媒介化されることによって、共同構築にストップがかかりネット怪談が衰退の傾向にあるという指摘だ。もしそうなら怪談ファンとしてはまことに残念である。ただ希望はある。本書第5章と第6章で紹介されている不思議な、気味の悪い画像をめぐる怪談の登場である。そこには物語中心の従来型怪談とは一線を画した気味の悪さ(著者は「不穏さ」と表現している)がある。不穏な画像を目にした人々が新たな怪談を語り出すのではないか、私はそんな未来を楽しみにしている。