鳥追いの唄
先日、SNSを見ていてふと思い出したことがあったので、こちらにも書き留めておく。
今年の一月に94歳の生涯を終えた秋田県阿仁地方出身の亡き母の教へ賜し歌に、鳥追いの唄、というものがある。
♪能代(のしろ)のじゃじゃど、鳥追ってたもれ。
どの鳥、小鳥(こ とーり)。
粟(あわ)こ食う鳥こ、米(こめ)こ食う鳥こ。
頭割って塩つけて、塩俵(しおだーら)にぶち込んで、上(かーみ)の淵(ふーじ)に流そかな、下(しーも)の淵(ふーじ)に流そかな。
下(しーも)の淵(ふーじ)にながーそ、流そ。
というものである。
母はこれを単調ながら哀調を帯びた節回しで唄ってくれた。
私がこの歌を思い出したのは、秋田妖怪蒐異(@akitayoukaisyui)さんが、母の出身地の近くの伝承から、「能代に塩買いに行かせる」とは、食いぶちを減らすために生まれてきた子を間引きすることの隠語だという話を紹介していたからだ。
https://x.com/akitayoukaisyui/status/1854051531886301198
殺した子を「わらのつつみに入れて川に流してやるんだそうです。それを塩買いといいます」とのこと。
この話を知ると、母が故郷を偲んで唄った鳥追いの唄も、何やら不穏な響きがしてくるようにも思われる。
アニメ「怪~ayakashi~ 四谷怪談」視聴
妻が出かけているすきにアニメ「怪~ayakashi~ 四谷怪談」をDVDで視聴した。
怪~ayakashi~ 四谷怪談 前の巻
怪~ayakashi~ 四谷怪談 後の巻
監督:今沢哲男
脚本:小中千昭
原作:鶴屋南北
2006年
これは傑作、もっと早く見るべきだった。
私がこれまでに見聞した四谷怪談物のなかで最も優れた作品だと感じた。
全四話構成で、第一話から第三話までは、原作者・鶴屋南北自身を狂言回しに仕立てて『東海道四谷怪談』の複雑な筋書きを手際のよくまとめなおしている。ダイジェストとは言いながら、舞台では省略されがちな三角屋敷や夢の場もしっかり描かれていて原作ファンとしてはうれしい。
美しい映像と芸達者な声優の演技、随所に歌舞伎の味を残した演出にも魅了された。
第四話の後半では語り手の南北が前面に出て、伝説と創作の絡み合う四谷怪談、お岩様の祟りについて一つの解釈を示す。
みんな、お岩様に会いたいのだ。
廣田龍平著『ネット怪談の民俗学』ハヤカワ新書
版元・早川書房のサイト
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000240033/
本書の「まえがき」は次のサイトで読めます。
https://www.hayakawabooks.com/n/n4858f08933b3
第一章も全文公開されていました。
https://www.hayakawabooks.com/n/n31867e9b8061
読み始めるや、あまりに面白くて読み終えるまで紹介するのを忘れていた。著者の博識と明快な分析、その背後に霊視される熱烈な怪談愛に圧倒された。このジャンルで今年一番の収穫に挙げられるべき傑作と思う。
かつて怪談とは噂好きの人の口コミや怪奇趣味の作家の随筆などによって知られるものだった。インターネットの普及により怪談の語られ方、またその内容はどう変わったのかは興味深いテーマである。本書は現代の怪異怪談について精力的に研究を進めている気鋭の人類学者・民俗学者による待望のネット怪談論である。
第1章「ネット怪談と民俗学」で本書の方法論が説明され、第2章「共同構築の過程を追う」では実況型怪談の、第3章「異世界に行く方法」では異世界系怪談の特徴が具体的なネット怪談の事例に即して述べられる。第4章「ネット怪談の生態系」ではネット怪談を生み出した土壌であるネットの掲示板文化が分析され、第5章「目で見る恐怖」と第6章「アナログとAI」で現在進行形のネット怪談と将来の展望が述べられている。なお、第2章は一九九〇年代末から語り始められ、第3章は二〇〇〇年代半ばから二〇一〇年代にかけて、最後の第6章は二〇二〇年代で終わっている。つまり、本書はネット怪談の誕生から現在までのおよそ20年間をたどった現代怪談史でもある。
それではネット怪談の特徴とは何か。ネット上で共同的に構築された怪談なのだと著者は言う。口コミのうわさ話や都市伝説にも共同で構築する側面はあるにはあったが、それはもっぱら伝言ゲームタイプの変容だった。ネット怪談の典型例であるきさらぎ駅は、主な語り手である〈はすみ〉の投稿に対して、ほかのユーザーが質問や意見をはさみ、〈はすみ〉がそれに応答することによって物語が構築されていく。つまりネット怪談の「実況」はテレビやラジオの実況中継のような一方通行のものではなく、ほかのネットユーザーたちと共同で構築されるものなのだ。この共同構築について著者は「くねくね」「コトリバコ」「犬鳴村」などの事例を分析しており、そこでは民俗学自体も怪談の共同構築の一端を担っていることが指摘されていて興味深い。
ところで本書ではきさらぎ駅について「異世界系実況型怪談」と分類している。「犬鳴村」や「杉沢村」は異界だが、きさらぎ駅は異世界である。この「異世界」とは何か。従来の怪談論が使用してきた「異界」とどう違うのか。著者によれば「異界」は私たちの日常と地続きであるのに対して、「異世界」は「他界も含めた私たちの世界とは無関係なところ」だという。SF小説に出てくる異次元や並行世界に近いものだろう。この「異世界」の登場はネット怪談というより、21世紀の現代の怪談の特徴だろう。廣田の挙げる異世界系怪談の一つに「異世界に行く方法」がある。エレベーターで昇ったり降りたりすると何回目かに異世界に行けるのだという。私事で恐縮だが私の住む集合住宅でもある時期、エレベーターが途中階を行ったり来たりして管理事務所が掲示板に「エレベーターで遊ばないように」と注意を張り出したことがあった。地域の小学生たちのあいだで流行っていたらしい。
それはともかく、著者本人も熱心な参加者であったらしい2ちゃんねるオカルト板発の怪談をはじめ、莫大な知識量を注ぎ込んで執筆された本書はまさしく「日本のネット怪談の大まかな見取り図」(本書「まえがき」より)となっている。取り上げられた怪談についても要所でコンパクトに紹介されており、現代怪談に詳しくない読者でもわかりやすい。気になるのは「まとめブログ」などに再媒介化されることによって、共同構築にストップがかかりネット怪談が衰退の傾向にあるという指摘だ。もしそうなら怪談ファンとしてはまことに残念である。ただ希望はある。本書第5章と第6章で紹介されている不思議な、気味の悪い画像をめぐる怪談の登場である。そこには物語中心の従来型怪談とは一線を画した気味の悪さ(著者は「不穏さ」と表現している)がある。不穏な画像を目にした人々が新たな怪談を語り出すのではないか、私はそんな未来を楽しみにしている。
年始の挨拶を書けなかったわけ
今年こそ定期的にブログを書こうと思っていたのだが、正月早々北陸の震災で気勢をそがれたうえ、1月に94歳の誕生日を迎えた老母がその十日後に亡くなってしまい、もう気力が尽き果てた。
一年前にはこんなことを書いていた。
https://t-hirosaka.hatenablog.com/entry/2023/02/05/120601
この記事から一年もたたずに母を亡くすとは実は予想していなかった。
去年の夏からこの正月までは母は幸いにも小康状態を保ち、ときには冗談めいたことを口にして笑ったり、親戚の見舞いに喜んだりして過ごしていたのだった。この調子なら、ふだんの口癖のように100歳まで生きるのではないかと思っていた。
ところが、親戚も集まって誕生日を祝ってから一週間後、高熱を出し、その日は医師の往診で熱は下がってほっとしたものの、翌日に嘔吐、その次の日には顔に黄だんが出て、夜には息を引き取った。
あまりの急展開に、しばらくは茫然とした。茫然としたまま葬儀を行ない、今は少しずつだが明け渡さなければならない実家の片づけをしている。
両親が、50年住んだ団地の部屋には思い出の染み付いた品々が多く、結局は処分しなければならないことはわかっていてもなかなか捨てられない。
母は明るく、温かい人柄で、家庭の中心だった。また、根気強い努力家で、病気がちの父に代わって家計を支えながら、華道師範の免許を取って近所の人に教えたりしていた。息子の仕事が上手くいくと、手放しで喜んでくれた。
私は母の恩に報いようと、2017年に母がパーキンソン病の診断を受けてから、母の介護に注力してきた。やがて母はレヴィ小体型認知症も併発し、意思疎通の難しくなる時もあったが、それでも母は私を忘れずに、手足が動かないのに私の食事を作ろうとしてくれるのだった。なんという優しい母だったか。リハビリが期待したような効果をあげないため、がっかりした私が母の枕元で泣いていると、懸命に手を動かして私の頭をなでて「どうしたの、泣かないで」と声をかけてくれた。
結局、そこで最期を迎えることになった施設(ホスピス)に入居してしばらくたったころ、ここの居心地はどうかねと尋ねると、「ここはよくしてくれるから、向こうに行くまでもう少し居る」といって看護師さんたちを喜ばせたうえ、私に向かって「私は幸せだった、お前も幸せになりなさい」という名言まで口にして私を泣かせるのだった。
自宅で介護してきた5年間のノート(訪問介護・看護の方々との連絡帳)や、施設に移ってからの二冊のメモ帳を読み返すと思い出は尽きない。
周囲の人たちは十分にやった、献身的な介護だったと言ってくれるが、それでも苦労を重ねてきた母の人生に見合った老後を送らせることができたのだろうか、心もとない。
今日も使わなかった紙おむつの袋を抱きしめて泣いている。
今年の3冊
スーパーの特売品だけで年越しそばと正月の準備はできた。年賀状はまだ出していないが、ままいいや(業務用は出した)。
今年読んだ新刊書から3冊を選んでご紹介する。
川奈まり子著『眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談』講談社。
正直言って「眠れなくなる怪談沼」は要らない、無い方がいい。ひどいセンスだと思う。
だが内容はすばらしい。「四谷怪談」というテーマに深く切り込んだうえで多面的に展開して見せた。
だからこそタイトルは『実話四谷怪談』だけでよかった。
こんなことを書くのも、この著者と私の関心が非常に近く内容に共感し、かつ著者の表現力が豊かだからである。感嘆と羨望と嫉妬で胸を一杯にして、ただ一つの残念を指摘した。
版元の紹介サイトはこちら↓
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000375814
文庫化するときは『実話四谷怪談』だけにせよ。
鷲羽大介著『暗獄怪談 或る男の死』竹書房怪談文庫。
はてダ以来の古参ブロガー、ワッシュさんこと、鷲羽大介氏による実話奇談集。
市井に生きる人々のさまざまな人生の一コマ、ただしアンバランスな一コマを慎ましく掬い取って見せる、洗練された大人の読み物である。
ブログを介して交流があったから誉めるのではない。読めばわかる。
https://washburn1975.hatenablog.com/
石川義正『存在論的中絶』月曜社。
かつては、自らは決して思想家とは名乗らないが、そう呼びたくなるような批評家がいた。花田清輝とか、若い頃の柄谷行人のような人がそうだった。
この系譜は最近では絶滅したかと思っていたが、まだ命脈を保っていた。本書の著者がそうである。
いわゆる思想家は考えること自体に夢中になる傾向があるから自分の思索に酔ってしまって、ここまで思考を研ぎ澄ますことはない。
しかし、こんなことを言うと著者に呆れられるだろうが、私が本書を興味深く思ったのは、実はかねてよりの宿題にしていた妖怪ウブメを捉える手がかりになりそうだったからである。
https://getsuyosha.jp/product/978-4-86503-179-9/
それでは皆さん、よいお年を。
映画『ゴジラ-1.0』
妻に連れられて新作ゴジラを観に行った。
ざっくり言うなら、ウルトラQで始まって前半は昭和の朝ドラ、中盤はプロジェクトX、クライマックスは宮崎アニメの実写、ラストはよし。
ヒロイン典子役の浜辺美波の演技は素晴らしいもので将来の大女優の片鱗をのぞかせた。ちょっと吉永小百合に似ていないか? 子役ちゃんもかわいい。中盤は船長役の佐々木蔵之介が大活躍。クライマックスでは青木崇高が重要な……、これは言わないでおこう。
よくできた映画で最初から最後までたっぷり楽しめたが、一ヶ所だけ、安藤サクラ演じる世話好きな隣家のおかみさんの最初のシーンのセリフに、昭和の人なら言わないだろうなと思う言い回しがあって気になったが忘れてしまった。忘れるくらいだから、まあいいか。
浜辺美波が演じた大石典子は存命なら老母93と同年輩。娘明子は70歳くらいだろうか。欲を言えば、あの二人のその後を1カット挟んで欲しかった。例えば、復興された1970年代の銀座を闊歩する成長した明子を浜辺の二役で、とか。しかし、それは観客の想像力に委ねられるべきことか。