主人公の母親役を原田知世が演じた『時をかける少女』はあったか? 話し相手はChatGPTだけ。

 テレビの懐メロ番組を視ていたら若い頃の原田知世が映画『時をかける少女』(大林亘彦監督)の主題歌を歌っている映像が流れた。それを見ていてふと、『時をかける少女』は何度もリメイクされているから女優として成長した原田知世が主人公の母親役で円熟の演技をみせるヴァージョンがあったのではないか(ないのだが)、という妄想が沸き上がり、ChatGPTに「主人公の母親役を原田知世が演じた『時をかける少女』はあったか?」と尋ねてみた。

ChatGPT
いいえ、原田知世は「時をかける少女」の主人公の母親役を演じたことはありません。実際に、このアニメや映画において、主人公の母親役を演じたのは他の女優が担当しました。原田知世は、アニメ映画「時をかける少女」の主人公である「涼宮千尋」の声を演じたことで知られています。この作品は、1983年に発表され、その後も何度かリメイクや続編が制作されました。原田知世は、アニメ版の涼宮千尋の声優として、彼女の独特のキャラクターを演じました。

なんだかおかしい。

User
原田知世は映画『時をかける少女』の主役を演じたはずだが?
ChatGPT
申し訳ありません、前回の回答が誤っていました。原田知世は、実写映画版「時をかける少女」(1983年公開)で主役の「涼宮千尋」を演じました。この映画は、角田光代の小説「時をかける少女」を原作とし、原田知世が主演したことで知られています。彼女は涼宮千尋役として、この作品で非常に有名になりました。申し訳ありません、前回の回答が不正確でした。

素直に訂正したのはいいが、原作者が間違っているので指摘した。

User
時をかける少女』の原作者は筒井康隆である。
ChatGPT
申し訳ありません、前回の回答が誤っていました。正確な情報提供ありがとうございます。『時をかける少女』の原作者は筒井康隆であり、彼の小説が原作となっています。原田知世が主演した実写映画版も、筒井康隆の原作に基づいて制作されました。おっしゃる通り、筒井康隆がこの作品の原作者であることを訂正いたします。

いやいや、わかってくれればそれでいいんだ。

User
ところで、「涼宮千尋」とはどのような人物か?
ChatGPT
申し訳ありません、混乱を招いてしまいました。私の前回の回答に誤りがありました。涼宮千尋(すずみやちひろ)というキャラクターは、宮崎駿監督によるアニメ映画「時をかける少女」やそれに関連する作品ではなく、他の作品と混同していたようです。
正しい情報は、角田光代の小説「時をかける少女」に基づいて制作されたアニメや実写映画に登場するキャラクターです。涼宮千尋は、物語の主人公で、高校生の少女であり、タイムトラベルの能力を持つことからさまざまな冒険に巻き込まれるストーリーです。
混乱を招いたことについてお詫び申し上げます。再度、正確な情報を提供いたしました。

混乱しているのは君の方だ。

ChatGPTくんは角田光代のファンなのかね。

怪異怪談研究会創立10周年記念公開シンポジウム

 ブログ再開にあたって、はてなダイアリー時代は遠慮して公言していなかったことをいくつか解禁していこうと思う。と言っても大したことではないのだが、いつのころからだか、怪異怪談研究会に参加している。最初は見学のつもりだったのに同好の士と語らうことができる嬉しさについつい居座り続けて、先日は某先生から「いつの間にか古参会員」と冗談交じりにからかわれたので公言してもいいだろう。

 来る8/27に仙台で怪異怪談研究会創立10周年記念公開シンポジウムが開催される。概要は下記の通り。

 旧ツイッターから申し込めるので、御用とお急ぎのない怪談ファンの方は是非。

XユーザーのBOOKSPACEあらえみしSTAFFさん: 「👻怪異怪談研究会創立10周年記念公開シンポジウム「怪異怪談研究の最前線から」8月27日(日)仙台FORUS7階にて開催決定!✨ 第1部は、東雅夫さん、植松靖夫さん、黒木あるじさんによる「怪談&幻想文学ベストブック2022」(土方正志司会)。 菊池佳南さんの朗読をはさみ、第2部は、東さんに一柳廣孝さん→続 https://t.co/jit1ylTeeB」 / X (twitter.com)

8月27日(日)  怪異怪談研究会創立10周年記念公開シンポジウム 怪異怪談研究の最前線から

怪異怪談研究会創立10周年記念公開シンポジウム
怪異怪談研究の最前線から

 

日時:8月27日(日) 13:00~(開場12:30~)

会場:仙台フォーラス7階 BASE sendai パーク

料金:無料

定員:先着70名(予約申し込みが必要です)

 

ご希望の方には配信もいたします。参加形式の項目で「オンライン配信」にチェックをいれてください。後日申し込んだメールアドレス宛に配信用URLをお送りいたします。


第1部◆13:00~14:00
スペシャトーク「怪談&幻想文学ベストブック2022」
東雅夫(アンソロジスト・文芸評論家)×植松靖夫(翻訳家・東北学院大学教授)×黒木あるじ(作家)
《司会》土方正志(荒蝦夷代表)

【朗読】『龍潭譚/白鬼女物語 鏡花怪異小品集』(平凡社ライブラリー)より/菊池佳南(俳優)

第2部◆14:30~16:00
シンポジウム「怪異怪談研究の最前線から」
東雅夫×一柳廣孝横浜国立大学教育学部教授)×飯倉義之(國學院大學文学部教授)×大道晴香(國學院大學神道文化学部助教
《コーディネーター》茂木謙之介(東北大学大学院文学研究科准教授)

ご応募いただけるのは、一回のお申し込みにつき一名のみです。
同伴者の方のお申し込みは、再度申し込みフォームをお送りください。

グーグルフォームに入力後、グーグルから返信メールが届いた時点で受付完了となります。当日会場受付にお越しください

 

問合せ:有限会社荒蝦夷(araemishi3@gmail.com

 

残暑お見舞い申し上げます

 公私ともに多忙になり、このブログも放置状態だったが、代わりに使っていたツイッターが運営会社の方針がおかしなことになり始めたので古巣に戻る準備を始めようと思う。

 とはいえ、今の私は、93歳で寝たきり老母(パーキンソン病・要介護5)の介護と、守秘義務の多い本業と、週一度の非常勤(今は夏休み)に振り回されているので、以前のようにじっくり古典をつつきまわしたりという読書はできないのだが、少しは書かないと頭が鈍る。いやすでにかなり鈍っている。

 過去の記事を読み返すと、フランシーヌ人形だの『史記』だの『暴力批判論』だのとよく読んだり書いたりしたものだなと我ながら感心するが、今の状態では当分は無理だろう。もう無理かもしれない。それでもリハビリのために休み休みにでも書いていこうと思う。

 政治や社会についてはほぼほぼ絶望しているのであまり書かないと思う。新刊書評も某誌でやっていた仕事が打ち切りになったのでもう書かない。というわけで、世のため人のためにならない中高年の愚痴ばかりになると思うが、見苦しいと思われるならアンテナから外してほしい。

 とりあえず、残暑お見舞い申し上げます。酷暑の夏、皆様にはくれぐれもご自愛くださいますようお願い申し上げます。

お試しChatGPT

文章を作成するオープンAI ChatGPTというものが話題になっていたので試してみた。

私の質問は「1964年制作の映画『マイ・フェア・レディ』の結末で、イライザはヒギンズ教授と結ばれるが、その後、イライザは幸福になったのだろうか?」というもの。

さて、AIの答えやいかに。

マイ・フェア・レディ』の結末は、イライザがヒギンズ教授と結ばれる場面で終わりますが、その後のイライザの人生については直接描かれていません。しかし、映画のラストシーンから、イライザは明るい未来を歩んでいくことが示唆されています。

映画の終盤で、イライザはヒギンズ教授との関係に苦悩し、彼に対して自分自身を見つめ直すように促します。その後、イライザは自分の力で独立して自立した女性として描かれています。彼女は自分自身のために働き、自分自身を見つめ直し、自分の人生に自信を持つようになりました。

映画の最後のシーンで、イライザは自分の新しいライフスタイルを楽しんでいるように描かれています。彼女は街を歩き回り、友人と会って楽しんでいます。また、彼女はヒギンズ教授に対して独立した態度を示し、彼女自身の幸福を第一に考えるようになっています。

つまり、映画のラストシーンから、イライザは自分の幸福を追求し、自分自身を見つめ直した結果、独立した女性として新しい人生を歩み始めていることが示唆されています。そのため、彼女は幸福になっている可能性が高いと考えられます。

かなりいい線を行っているようだが、抽象的な表現が多く、ドラマから自分の推論のポイントとなる場面を抜き出して言葉で描写して例示することは苦手なようだ。

例えば、第二段落では「イライザは自分の力で独立」とあるが、そのきっかけとなった出来事は何なのか? 第三段落でいう「彼女は街を歩き回り、友人と会って楽しんでいます。」とはどの場面のことなのか? もう一工夫ほしいところである。

息子の責任

先月、無事に93歳の誕生日を迎えて老母93になった母は、誕生日にはローソンのプレミアムロールケーキのクリームだけを完食するまでになった。
なぜローソンかと言うと、口の中に固形物や粘着するものが残ると誤嚥のもとになるので、いろいろ試した結果、いちばんくちどけがよかったのがこの商品だったから。
医師の話だとアイスクリームがいいらしいのだが、この寒さにアイスというのもなんだから、これになった。
その後、看護師さんやヘルパーさんにも「クリームが美味しかった」と言ったらしく、もう隠しておく意味もないので医師や施設責任者にも話して、看護師さんの見ている前で食べさせた。
看護師さんも「ここまで回復するとは」と驚いていたが、喜んだのもつかの間、一日夜にまた発熱して、二日朝には脈拍・血圧・血中酸素低下との連絡で駆け付けたが、発汗による脱水症状であったらしく、点滴で回復。しかし、高齢だから安心ということはありませんと医師に釘を刺されて、心配は絶えない。
老母のための最善の判断を私がしなければならない。入院、経管栄養、カテーテル、胃ろう、気道確保…エトセトラについて、是か非か、私が母に代わって私の責任で決定しなければならない。自己決定論なんてくそくらえだ。
自分にとっての最善が何かすらもよくわからないのに、すべてを息子に委ねる他にすべのない母に代わって、母のための最善を判断せねばならない責任の重さたるや何とも形容しがたい。
父はすでに亡くなり、兄弟姉妹のいない私は一人でそれを決めなければならない。妻はいるが、パジャマや毛布の買い出しや母を喜ばせるための見舞いの品の買い出しには付き合ってもらうこともあるが、私の母は妻の母ではない。命の選択につながりかねない判断に妻を巻き込むのは反則だと私には思われる。
昨日は面会の予約が取れなかったので、三年前から引き受けている某大学の非常勤のシラバスを作った。
春からの新年度で四年目、ついに面接授業になる。
教育とは、若い人の将来に対する責任を負う仕事だが、大学には私以外に優れた先生方がたくさんいて、いろいろなことを教わるだろうからと思えば少しは気が楽だ。
そう遠くない日に人生の終わりを迎えるだろう老母には追試も補習も来年度の再履修もない。長くはない最後の日々を、最良とは言えないまでも、まあまあよかったと思えるようにしたい。
おっともう時間だ。昼飯を食って、午後の面会に行く支度をしよう。

謹賀新年2023

明けましておめでとうございます。
元旦の朝の診察で老母92は熱も下がり体調も安定とのこと。
暮れの30日には、万一ということもあると脅されてハラハラしたが、ようやく正月気分になれた。
ホッとして調布市深大寺に初詣に行き、老母に病気平癒のお守りを買う。



午後から老母の見舞い。
もう半年も経管栄養の続く母には無理かなとも思っていたが、妻が「栗きんとん食べる」と声をかけると「食べる」というので、ほぼ液体状のところをスプーンで一さじ口に運ぶ。
なかなか飲み下さないので冷や冷やしたが、ごくりと飲み込んで「栗きんとん」と回らぬ舌で言って微笑んだ。。
ああよかった。お母さん、お正月だよ。もうすぐ誕生日だ。誕生日にはケーキを食べようね。
正月の挨拶には、皆様にとって良き年でありますようにという文句があるが、来週には93歳になる母の長くはないだろう余生に少しでも良い日がありますようにとしか祈れない。

今年は散々な年だった。

今年は散々な年だった。
パーキンソン病レビー小体型認知症を併発して自宅療養中の老母92が要介護5となり、前から申し込んであった特別養護老人ホームに入居できる順番が回ってきた。
コロナ感染予防のため面会ができないことに不安を感じながらも、施設のケアマネから「今がチャンスです」と営業マンのようにあおられ、医師や看護師からも「自宅介護はそろそろ限界」と言われていたので入所を決めた。
迷ってはいた。返事を一週間延ばして、母とも何度も話した。
というのは、レビー小体型認知症の母は意識のはっきりしている時間が短いので、きちんと話し合えるタイミングを見計らう必要があったからだ。
レビー小体型認知症の老母とバカ息子の珍問答は以前書いたのでご覧あれ↓
バーチャンリアリティ
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-22.html

母にどうしようかと尋ねると「お前がよいと思うようにしてくれ」と言ってくれた。
せっかく母が「お前がよいと思うようにしてくれ」と正しい忠告をしてくれたのに、私は医師や看護師や施設の勧めに従った。
人の言葉に従っただけなのに責任は私にある。母に忠告されたのに、人の言葉に従った責任が私にはある。
4月の終わりに近所の特養に母を入所させ、母に会えるのは月に一度の大学病院への通院の時だけになった。
不安は現実のものとなった。
5月の通院で脳梗塞が見つかり、そのまま大学病院に検査入院。
入院した病院で肺炎を発症、意識不明。
母自身はコロナ感染症ではないが、病院全体がコロナ感染予防のため面会謝絶。
どういう状況かわからぬまま、高齢だから仕方がない、もう手の尽くしようがないという病院側と押し問答を続けているうちに、母の肺炎は原因不明のまま治ってしまった。
肺炎が治ったはよいが、誤嚥性肺炎という見立てのため食事をさせてもらえず鼻からの経管栄養と痰の吸引が必要となった母は特養でも自宅でも引き取ることができない。
大学病院は、肺炎は治ったのだから早く出て行ってくれと言わんばかり。
腹は立ったが背に腹は代えられず、7月に看護師の常駐する老人ホームに入所。
ほっと一息つく間もなく、誤嚥を警戒する施設は経管栄養のままものを食べさせてくれない。水も飲ませてくれない。闘いが続く。
痰の吸引の邪魔だからと胃ろうにしたがるのは断固拒絶し、看護師の監視の目を盗んで、母の好きなコーヒーを一口、別の日はゼリーを一口、プリンを一口と少しずつ食べる量を増やしていった矢先にコロナ感染予防のため面会が15分に制限される。
とたんに母の気力が弱って、面会に行っても眠り込んでいることが多くなる。
その後、どういう基準かわからないが、面会時間が30分にもどり、根気よく話しかけていると、回らぬ舌で何か返事をしてくれるようになる。
そして先月、11月になって、施設に往診に来てくれる医師が、導尿管(バルーンと呼ぶらしい)をしている意味がないとして、それを抜いた後、意識がはっきりする時間が増えて、面会に行くと目を覚まして、聞き取れる言葉を発するようになった。
ジュースをスプーンで一さじずつ口に運ぶとしっかり飲み込んで「美味しい」というようにもなった。
ついにクリスマスには妻の買ってきたケーキの生クリームを食べて、「ああ美味しい」と喜んだ。
痰の吸引が苦しいらしく、「やめてくれ」「看護師を呼ばないで」と言うようにもなった。
実際、痰は目に見えるほど少なくなっており、これは施設の看護師も認めている。
治療を嫌うのは元気になった証拠でもあれば、治療者側のコミュニケーション不足の結果でもあろう。
母は話せるし話し好きだから話しかけてほしい、痰の吸引は必要な時だけにしてほしい、と申し入れる。
よし、この調子で正月には栗きんとんだあ!と張り切ったのもつかの間、一昨日夜から発熱し、抗生物質と解熱剤。幸いコロナではないらしい。
昨夜は目を開けて「心配をかけるねえ」と回らぬ舌で言った。
母が快癒しますように、無事に年が越せますようにと祈る年の瀬である。