プロネーシスの体現者

ちょっとオーバーアクションが過ぎて、研幾堂(id:kenkido)さんにご心配をおかけしてしまったようだ。
ご親切にも、あたたかいコメントをくださった。http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20090331/1238475625#c
いただいたコメントをつらつら読んでいると、これはアリストテレスの言う「それ以外の仕方においてあることの可能なもの」について思いめぐらすときの基本姿勢のようなものだと感じた。

 これから出来上がっていくものは、実は、向こうも分かっていない、こちらも分かっていないところがある、そう言えるとすれば、こちらはこちらなりに、まずは、何かおかしい、次に、そのおかしさは何か、そして最後に、そのおかしさが取り払われるとしたら、どうするのか、このあたりをサッササッサと言ってしまって、やがて来る分からぬものを、少しでも、こちらに害の無いものに、出来れば利益あるものにしてしまう、そんなことが可能ではないかと思うのです。

 思いますに、楽天的かもしれませんが、将来に到来するものは、皆して、いろいろとおかしい、ああだこうだと言い合って、更に分からなくなるというものではなくて、その数々有る中で、正しさや真実に、よりよく似たものを捉えたものがあれば、到来するものもまた、そうしたものになっていくのではないでしょうか

アリストテレスは知慮(思慮・賢慮)の体現者としてペリクレスを挙げたが、私は研幾堂さんも候補に推したいと思った。