「四谷怪談」を読む(十二)喜兵衛の説得

『四ッ谷雑談集』の悪の主人公・伊東喜兵衛は「悪逆無道」と形容されながらも、お岩追放劇において演じた役割はといえば、お岩を外に出し養子に家を継がせるという、お岩の反対で頓挫した同僚たちの総意を、小細工を弄することで実現しただけである。その点だけ見れば、喜兵衛は御家人たちの職業共同体の意志を代行したにすぎない。
職業共同体と言ったが、彼らは単なる同僚であるだけではない。
四谷左門町に住む御先手組御家人たちの組とは、元は徳川家康に従って三河あたりから出てきた武士たちの子孫の集団である。伊東喜兵衛や田宮又左衛門らはおそらく家康の指揮で戦場を駆け回った侍たちの子や孫の世代だ。後には伊右衛門のように婿養子になるなどして外から加わった人もいただろうが、組の主力は三河地方出身者で占められていた。
つまり「同組の者共」とは、単に職場の同僚というだけでなく地縁で結び付いた共同体でもあり、何代か前にさかのぼれば血縁も強かっただろう。そうした人たちが四谷の一画に居住地を与えられて暮らしていた。よく言えば親密な、それだけに拘束の多い共同体である。
鶴屋南北の芝居『東海道四谷怪談』の設定はこれとは異なる。
「芝居」の伊藤喜兵衛は高師直吉良上野介)の重臣であり、四谷左門(又左衛門)や伊右衛門は塩冶判官(浅野内匠頭)の遺臣であって、敵対するグループに属している。伊右衛門は就職のために敵対グループの有力者にとりいるという設定である。
もっとも『雑談』でも、伊右衛門の祖父は敗軍の将・石田三成の家臣だったことになっているので、その伊右衛門が就職のために徳川家御家人の娘お岩の婿になるという筋書きは、やはり就職のために喜兵衛の孫娘お梅の婿になろうとする「芝居」の筋書きとアナロジカルな側面を持っている。対立する勢力の女子と結びつくことで地位を得ようとする『雑談』の伊右衛門という人物の行動パターンは南北の「芝居」に受け継がれている。こうしてみると、南北の『東海道四谷怪談』は、都市伝説としての「四谷怪談」と赤穂浪士という題材を場当たり的に合成したのではなく、『雑談』の設定を勘案したうえで『忠臣蔵』の世界と結び付けていることになる。
とはいえ、『雑談』と南北の「芝居」の違いはやはり大きい。
『雑談』の伊東喜兵衛は身内の有力者だが、「芝居」の伊藤喜兵衛は敵側の人物である。南北は喜兵衛の立場を変更することによって、伊右衛門の裏切りをドラマチックに演出して見せた。「芝居」の伊右衛門の心変わりは、「承知しました。お岩を去つても娘御を、申し請けう」と最終的には彼個人の決断によって演じられるのに対して、『雑談』の伊右衛門は喜兵衛の説得に根負けして、ろくな受け答えもできずにただお任せしますと言うばかり(「挨拶もなくて云事とては只宜と計」)だった。これは伊右衛門が「同組の者共」の総意を受け入れたことを示すに過ぎない。
つまり、「芝居」の伊藤屋敷の場で演じられるのは欲望と欲望の取引だが、『雑談』の喜兵衛による伊右衛門の説得は、共同体の同調圧力を背景にしたもので、同化を拒む古い異物(お岩)を外に出し、新しい異物(伊右衛門)を内に取りこむための生体反応のようなものとして描かれている。これは『死霊解脱物語聞書』の累殺しが、「実にもことわりさこそあらめ」と村人たちに黙認されていたことを連想させる。

奥方・内室

ついでに一つお断りを。
実録四谷怪談―現代語訳『四ッ谷雑談集』 江戸怪談を読む』の拙訳では、喜兵衛が伊右衛門を説得する場面で、喜兵衛にお岩のことを「奥方様」と言わせている。これは原文では「内室」または「内方」となっている。
奥方とは旗本・大名クラスの殿様の妻を指す言葉だという説を知らなかったわけではないが、それなら「内室」や「内方」を「御新造」に置き換えれば正解かと言うと、どうもしっくりこない。ここは喜兵衛が、夫婦仲の悪いお岩を大げさに持ちあげることで伊右衛門をからかっている場面なので、あえて「奥方」と訳した。