息子の責任

先月、無事に93歳の誕生日を迎えて老母93になった母は、誕生日にはローソンのプレミアムロールケーキのクリームだけを完食するまでになった。
なぜローソンかと言うと、口の中に固形物や粘着するものが残ると誤嚥のもとになるので、いろいろ試した結果、いちばんくちどけがよかったのがこの商品だったから。
医師の話だとアイスクリームがいいらしいのだが、この寒さにアイスというのもなんだから、これになった。
その後、看護師さんやヘルパーさんにも「クリームが美味しかった」と言ったらしく、もう隠しておく意味もないので医師や施設責任者にも話して、看護師さんの見ている前で食べさせた。
看護師さんも「ここまで回復するとは」と驚いていたが、喜んだのもつかの間、一日夜にまた発熱して、二日朝には脈拍・血圧・血中酸素低下との連絡で駆け付けたが、発汗による脱水症状であったらしく、点滴で回復。しかし、高齢だから安心ということはありませんと医師に釘を刺されて、心配は絶えない。
老母のための最善の判断を私がしなければならない。入院、経管栄養、カテーテル、胃ろう、気道確保…エトセトラについて、是か非か、私が母に代わって私の責任で決定しなければならない。自己決定論なんてくそくらえだ。
自分にとっての最善が何かすらもよくわからないのに、すべてを息子に委ねる他にすべのない母に代わって、母のための最善を判断せねばならない責任の重さたるや何とも形容しがたい。
父はすでに亡くなり、兄弟姉妹のいない私は一人でそれを決めなければならない。妻はいるが、パジャマや毛布の買い出しや母を喜ばせるための見舞いの品の買い出しには付き合ってもらうこともあるが、私の母は妻の母ではない。命の選択につながりかねない判断に妻を巻き込むのは反則だと私には思われる。
昨日は面会の予約が取れなかったので、三年前から引き受けている某大学の非常勤のシラバスを作った。
春からの新年度で四年目、ついに面接授業になる。
教育とは、若い人の将来に対する責任を負う仕事だが、大学には私以外に優れた先生方がたくさんいて、いろいろなことを教わるだろうからと思えば少しは気が楽だ。
そう遠くない日に人生の終わりを迎えるだろう老母には追試も補習も来年度の再履修もない。長くはない最後の日々を、最良とは言えないまでも、まあまあよかったと思えるようにしたい。
おっともう時間だ。昼飯を食って、午後の面会に行く支度をしよう。