韓非子の「矛盾」3難勢編2脱線して『孫子』

「矛盾」の逸話が出てくるので読み始めた『韓非子』難勢編は「勢」についての議論である。「勢」とは何か?
「物事には、ホレ、勢いっちゅうものがあるだろうが」と言われれば、ああなるほどと思ったりするが、あらためて何かと考えるとあやふやになってくる。
これはなんだろうな、とぼんやり思っていたら、たまたま習慣的に読んでいた連載漫画「キングダム」で、「勢」と「賢智」の対立が描かれていた。それがヒントになって『孫子』を手にとったら、まんまと勢篇というのがあるではないか。古典にはたいていのことが書いてある。
以下、引用は「Web漢文大系」http://kanbun.info/shibu02/sonshi05.htmlによるが、私は岩波文庫版と講談社学術文庫の現代語訳と注釈を頼りに読んでいる。

孫子』勢篇より

「勢」という語の出てくるところを読んでみる。

激水の疾くして石を漂わすに至るは、勢なり。鷙鳥の疾くして毀折に至るは、節なり。このゆえに善く戦う者は、その勢は険にしてその節は短なり。勢は弩を彍くがごとく、節は機を発するがごとし。

水勢という言葉があるけれども、そういうもののようだ。もっとも「水勢」という言葉には「勢」の字が含まれているから説明にはならない。満を持して機をうかがっている時の「ため」のようなものらしい。スポーツ選手がベストコンディションで試合に臨めるように体調を調整しておくようなものだろう。

乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は彊に生ず。治乱は数なり。勇怯は勢なり。彊弱は形なり。

勇気も怯懦も勢次第というわけだ。

ゆえに善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。ゆえによく人を択てて勢に任ず。勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石を転ずるがごとし。木石の性は、安なればすなわち静に、危なればすなわち動き、方なればすなわち止まり、円なればすなわち行く。ゆえに善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞の山に転ずるがごときは、勢なり。

「ゆえに善く戦う者は、これを勢に求めて、人に責めず。ゆえによく人を択てて勢に任ず」。これが『孫子』の「勢」というものの特徴をよく示している。勝敗を決するのは「勢」であって、個人の勇気や能力ではない。それらが結果に結びつくかどうかは形勢によって左右される(「勇怯は勢なり。彊弱は形なり」)。局面が優勢であればこそ諸個人の力も発揮される(「その人を戦わしむるや、木石を転ずるがごとし」)。