「教育基本法改正案に反対し、それを批判する理由と論理」について−コメントへのご返事に代えて

id:kenkido こと山下さん、コメントありがとうございました。
貴ブログはid:t_keiさんとのやりとりやid:mojimojiさんとの友好的な論戦を通して時折拝見しておりました。コメントに一言ご返事をと思いながら、長くなりましたので本日の日記とさせていただきます。
学問的・思想的な関心ではありませんので、山下さんのように深く掘り下げることはできませんでしたが、教育振興基本計画(と教育基本法改正)には何かいかがわしい臭いがする、とはつねづね思っておりました。
私がこの問題に気づいたのは、平成13年の、遠山文科大臣(当時)名義による中教審への諮問を見てびっくりしたことからです。その冒頭は次のようになっていました。

次に掲げる事項について,別紙理由を添えて諮問します。

1 教育振興基本計画の策定について

2 新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方について

仰天いたしました。この諮問では教育振興基本計画の策定が教育基本法に優先しているのです。
諮問は、ダラダラと混乱した議論が列挙される中間報告に比べれば、理路整然としていて簡潔なものですから、一読されることをお奨めします(文科省のホームページで公開されています)。
大臣による諮問理由には「世界規模の競争」に対応するため「国の基盤である教育を改革」すると述べられています。

このため,これからの教育の目標を明確に示し,それに向かって必要とされる施策を計画的に進めることができるよう教育振興基本計画を策定するとともに,すべての教育法令の根本法である教育基本法の新しい時代にふさわしい在り方について,総合的に検討する必要がある。

このように諮問の趣旨は、「世界規模の競争」の時代に「ふさわしい人材を育成する」ため「教育振興基本計画を策定する」、ついてはそれにあわせて教育基本法も改正したい、ということです。
そして「Ⅰ 教育振興基本計画の策定について」の第3項には次のように振興計画と教基法の関係が整理されています。

3 また、教育振興基本計画の策定は、教育基本法の基本理念等を実現していく手段としても重要であり、教育改革国民会議報告において提言されているように、他の多くの基本法と同様、その根拠となる規定を教育基本法に設けることについて、「新しい時代にふさわしい教育基本法の在り方」とあわせて検討する必要があると考える。

美辞麗句を省いて読めば、教育振興基本計画がまず先にあって、その根拠法としてふさわしいように教育基本法を変える、ということではないでしょうか。
ナンダコリャ、これでは順番が逆ではないか、と思ったのです。
教育基本法の理念を実現するために教基法の改正が必要になるとはなんとも不思議な論理です。一見すると理路整然と振興計画の策定と教基法改正の必要性を説く諮問のなかで、このくだりはまったく矛盾に満ちた文章です。
このことは振興計画と教基法の関係が、実は文面通りに、教基法の理念実現=目的/基本計画の策定=手段、の関係にあるのではなく、逆に、基本計画の策定=目的/教基法の改正=手段という関係にあることを示していると考えられます。
本末転倒とはこのことですが、これは振興計画の根拠法として現行の教基法が不充分である、さらに言えば文科省が策定しようとしている振興計画には現行法の規定に抵触するものが含まれているから、このような矛盾する文章を書かざるを得なかったのではないか、とすら疑われます。
諮問の教育基本法改正の理由のなかでは次のようなことも言われています。

2 教育改革国民会議の報告においては,これからの時代の教育を考えるに当たっては,個人の尊厳や真理と平和の希求など普遍の原理を大切にするとともに,「新しい時代を生きる日本人の育成」「伝統,文化など次代に継承すべきものの尊重,発展」「教育振興基本計画の策定など具体的方策の規定」の三つの観点から,新しい時代にふさわしい教育基本法を考えていくことが必要であると提言されている。

ここで言う「三つの観点」のうち、「新しい時代を生きる日本人の育成」は教育振興基本計画の目的に含まれますので、「伝統,文化など次代に継承すべきものの尊重,発展」だけが異質であって、これは復古主義的な政治家と宗教界の要請を背景にしているとあとで知りました。
今回の改正案提出について、マスコミ報道では、自民・公明の妥協の産物という言い方がなされているのを見かけますが、実態は官界と政界の妥協の産物なんだろうと思います。
以上、山下さんのご高察が正鵠を射ていることの傍証として、教育基本法改正案の文科省サイドの意図について記しました。

付記

上の記事、いささか官僚陰謀論のようなニュアンスをにじませてしまいましたが、これはあくまで文科省側の意図であって、保守政治家側の意図はまた別でしょうし、一口に保守勢力といっても内実はいろいろな考え方の人がいるでしょう。
また、この時期に教育基本法改正案がこのようなかたちで提出されたということには、単にある特定の勢力の意志というだけでは説明の付かない側面もあると思います。保守政界の意向がもっと強く出ていれば「教育勅語」に似ていたでしょうし、官界の意向だけであれば現行の第十条はもっと露骨だったでしょう。公明党というファクターもあるでしょうし、強い左派政党がいないという政治状況の影響もあるでしょう。
いずれにせよ、いささかうかつな物言いだったと反省しています。