墨攻

アンディ・ラウが渋い演技。梁王役の俳優も上手い。
大スペクタクルだけれども、あえて娯楽色をやや抑えて考えさせる系の作品に仕上げた模様。それでもそれなりに面白かった。
以下、映画評にあらず。
ところで、土曜夜に視聴したテレビ番組で、この映画の前宣伝を兼ねて墨家の特集をしていたが、引っかかるところがあった。
墨家消滅の謎について、王権と結んだ儒家との抗争に負けたような表現でアナウンスしていたが、あれは間違い。またインタビューされていた中国の学者も、あたかも墨家が庶民の味方であるかのような発言をしていたが、これも変だ(翻訳だから本当にそう言ったかどうかは知らないが)。
戦国末期には、墨家は守備専門の傭兵部隊のようになっており、秦や楚などの大国に雇われていたことは『呂子春秋』に記録されている。時代がくだり、組織が大きくなるにつれて、学祖・墨子の兼愛・非攻の精神も現実政治の中で変質していったのだろう。始皇帝の天下統一に一役買ったのではないかと推測する人もいる。
このことは確か原作漫画『墨攻』の前提ともされており、主人公・革離は、墨家教団中枢の意に背いて小国の防衛に出向いたことになっていたはずだ。墨家消滅は、思想集団が大国の傭兵と化したこととも無縁ではないだろう。
儒家との勢力争いに負けたというのは、まったくの見当違いである。『荀子』、『韓非子』には思想界の一大勢力として記されている墨家の名前が史料から姿を消すのは始皇帝による天下統一の頃。墨家が勢力を維持していれば、始皇帝没後の楚漢抗争の戦乱に登場してもよさそうなのに墨家のボの字も見えないところから考えて、始皇帝による焚書坑儒のまきぞえを食らって壊滅的な打撃を受けたと考えるのが穏当だろう。
まきぞえと言えば、焚書坑儒というが、焚書儒家封建制復活を唱えたための思想弾圧。坑儒は、儒家ではなく陰陽家に属するのだろう方士たちの活動を取り締まることであったから、別々の事件である。墨家は天下秩序に関しては儒家と同様、殷周の封建制を復古することを唱えていたから、秦に仕えた秦墨が滅んだのは、焚書の時だったろうと想像する。
また、そもそも劉邦にくっついて細々と生き延びていた儒家が、国家イデオロギーとして復権するのは漢の武帝の頃であり、それまでの漢帝国の思想界は道家と法家の天下だった。ちなみに武帝以前の漢の宮廷で道家びいきの王族の逆鱗に触れて、儒家寄りの官僚が左遷された件が『史記』にある。
だから、墨家儒家との勢力争いに負けて、歴史から消えたように言うことは、無理がありすぎる。
あえて言うなら、墨家を消したのは封建制を否定して皇帝の直轄統治を是とした法家だろう。墨家秦帝国内における思想界の主導権争いで法家に敗れ、儒家もろとも粛清された。しかも儒家がよく言えば知識人、悪く言えば口先ばかりの文弱の徒であったのに対し、墨家は戦闘集団でもあったから、弾圧する側としても単なる言論封殺ではすまされず、組織を徹底的に解体することを目指したジェノサイドが行われたと想像することもできる。
なんと言っても春秋戦国時代には儒墨というように儒家と並び称された墨家なのだから、司馬遷の『史記』でも墨子列伝が記されていてもいいのにと思うほどなのに、実際には節約を旨としたとある程度でほとんど言及がないというのも気にかかる。すでに司馬遷の時代には墨家についての史料がほとんどなかったのではないか。それでも墨子の思想を伝える『墨子』が若干の欠はあるとは言え、大部分が伝承されてきたのだから、墨家の思想を墨守して生き延びた墨者が少数ながらいたということか。