- 作者: 田中貴子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2007/03/16
- メディア: 単行本
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「第一部」の、宇治拾遺、枕、平家などよく知られた古典への田中流解釈も楽しい。
ただし、「第二部」に、現行の教科書教材以外の(高校生に読ませたい)古典がいくつか解説付きで挙げられているが、紙幅の関係からか数か少なく、その点は物足りなかった。田中氏得意の中世文学からもう少し挙げてほしいところ。
巻末の「第三部論説編 国語教科書の古文、ここがヘン!」は、その章タイトルから想像されるよりもよほど鋭いツッコミがなされている。節タイトルのみ記す。
一、古文嫌いはなぜ多い
二、古文って、「トリビア」?
三、「教室の権力」としての教科書
四、学習指導要領と教科書の「謎」
五、最後に−古文教育はどこへゆくのか
次回の改訂がどのようなものになるのかわからないが、現在よりさらに「読解力」や「表現力」の育成をうたい、学力向上をはかることは容易に予測される。そして、「伝統」「自国の文化」の象徴としての古文が再び注目されるのではないだろうか。そのとき、一体どんな教材が推奨されるのだろう。いずれにしても、研究者と教育現場の人間とは、それを常に見張り続ける必要があると思う。そして「大きな力」に流されず、自分の目で古文を「読む」ことができる生徒や学生を一人でも育てていかなくてはなるまい。(p315)
追記
僕自身はずっと古文が苦手だったけれど、大学生の終わりころに怪談に興味をもって南北『東海道四谷怪談』を読み始めたら読めた。勢いづいて秋成『雨月』を読んだらこれも読めた。あとは『耳袋』とか、もっぱら江戸時代の随筆に夢中になっていた時期もあった。その中に、鈴木桃野『反古のうらがき』というのがあって、そこに桃野自身の話として、子どものころは漢籍を読むのが嫌で、よく親に厳しく叱られていたが、ある時、中国の怪談を読んだらこれが面白くて手当たり次第に読んだ、その後は四書五経も読めるようになった、というのがあった。
ものすごく、素朴な話になるけれど、面白ければ(興味を覚えれば)読めるようになる、そういうことなんだと思う。