ゴーレムの生命論

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

通勤電車のなかで読み始めたばかりだが、かなり面白そう。
巻頭の「はじめに」で著者・金森修氏は次のようなことを書いている。

虚構や仮象を介して事実を見たときの方が、事実そのものの地平がより遠くまで見通せるということもある。そういうことがあるからこそ人間の文化は面白く、そういうことを理解できるからこそ、われわれ人間は底知れない奥深さを備えた存在だと言えるのだ。
(中略)
いずれにしろ、以下の小論は、集中と深化という力線よりは拡散と接続という力線によって主導されている。ゴーレム自体を取り上げて、それを集中して掘り下げるというよりは、〈ゴーレム的なもの〉なら積極的に取り上げ、そこにくすぶる〈ゴーレム性〉を抽出して、ゴーレム問題の圏域自体に拡がりと多様性を与えること。(前掲書、p11-p12)

「虚構や仮象を介して事実を見」る、「拡散と接続」、「問題の圏域自体に拡がりと多様性を」など、最近、頭を切り換えて考え直すためにこういうことが必要なのだろうなと思っていたことだったので、うれしくなってしまった。
ただし、拡散もやり過ぎると肝心の「問題の圏域」が見えなくなってしまったりする。金森氏もその点は留意しておられて、「過度の拡散になりうる限界点に到達したとき、そこで踏み留まるための一種のセンスを持ち続けること」を規範とする、と断っている(p15)。
この規範を「センス」としか言いようがないところに、「拡散と接続」のきわどさがあるのだが、今はあえて踊ってみる必要があるし、それができるささやかな余裕がまだあると思う。「踏み留まるための一種のセンス」を忘れて踏み外してしまったら危ういことになるのはわかっているが、多少の冒険なしには視界は広がらないだろう。