死者を冒涜するいくつかの方法1

世の中には怖いもの知らずがいるものだ。
先月、二〇〇五年六月十八日、長野県にある戦没画学生の慰霊碑(上田市無言館)に赤ペンキをかけた不届き者がいた。
〇三年八月一日には、広島市平和記念公園で、大学生が「原爆の子の像」に供えられた折り鶴に火をつけて燃やしてしまった、という事件があったことを思い出した。あのニュースを聞いたときは驚いた。しかも広島の事件は、就職が決まらず、むしゃくしゃしていたというのが動機だと聞いて二度ビックリ。上田市の事件もおおかた深い考えがあってのことではないのだろう。
それにしても、いずれの事件の犯人も、死者を冒涜する行為に祟りがあるとは思わなかったのだろうか。
死者は祟るものである。とくに非業の死を遂げた者は祟る。少なくとも日本ではそう考えられてきた。もし私たちの文化の背景となる過去の文化を「伝統」と呼ぶとすれば、「死者の祟り」という観念は伝統の中核である。戦没画学生慰霊碑を汚した者や、広島の折り鶴を焼いた学生には、この伝統の意義が理解されていなかったのだろう。
「祟り」というと悪霊が人間を苦しめるようなイメージが先行するが、祟る死霊が、人間に敵対するだけの悪魔的な存在であれば、それは祓い、封じればすむことである。そうしなかったのは、祟りとは死者の無念の思い、非命の悲しみの表明であって、生者への復讐のみを第一義とするものではなかったからだ。
仮に復讐のかたちをとったにしてもそれが復讐である以上、赤穂浪士の吉良邸討ち入りがそうであったように、そこにはなにがしかの正当性への問いかけが含まれている。だからこそ生者は古来、死者を悼み、弔い、その怒りを慰め、苦しみを癒そうとしてきたのである。
ちなみに、「祟る」という語は、もともとは「現れる」という意味で使われた。神の祟りとは、神の顕現のことなのである。そして、死者とは、生者であるわれわれにとって彼岸にあるもの、この世のものではない他者である。死者の祟りとは、他者の現れにほかならない。
他者の現れについて、熊野純彦レヴィナスを引いて次のように言う。

〈他者〉は「無限に超越的であり、無限に異邦的(エトランジェ)」である。そのような異邦性において、他者の「顔」がなお諸感覚を超えて、私に訴えてくる。顔は〈他者〉の「顕現(エピファニー「公現」とも訳される)」、たしかなあらわれである。顔において、他者はあらわれる。(熊野、p131)

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そして、他者の顔は「「殺すなかれ」という定めを語りつづける」(熊野、p133)という。慰霊碑を汚した者や、折り鶴を焼いた学生には、死者の顔が思い浮かばなかったのだろうか?その顔の語りつづける声が聞こえなかったのだろうか?