最近の教育論の居酒屋談義的な論調について

最近の教育論の居酒屋談義的な論調については、苅谷剛彦(『なぜ教育論争は不毛なのか―学力論争を超えて (中公新書ラクレ)』)や広田照幸(『教育不信と教育依存の時代』)らがつとに指摘していることだが、改善されるどころかますますひどくなっているように思う。
その際たるものが、一昔前に流行った「母原病」や「アダルトチルドレン」の焼き直しのような、最近の若者がダメになったのは親の育児がなっていないからだ、というバカげた妄論である。この主張がバカげているのは、なにも教育の専門家でなくても、ちょっとおちついて次の2点を考えてみればわかるというものだ。

  1. 最近の若者はダメになったか?
  2. 子どもの成長はすべて親の育児によって決定されるか?

最近の若者はダメになったか

最近の若者はダメになったか、という点については、学力低下や少年犯罪の増加がよく取りざたされるが、学力低下については何を基準にテストするかによってどうとでも点数は変わる。テレビでは漢字の読めない若者が取り上げられて笑いものにされることがしばしばあるが、テレビ番組に流れるテロップに誤字の多いことといったら、一流大学を出て高い競争率の入社試験を突破したはずのテレビ局員の識字率の方がよほど心配である。
少年犯罪が増加したというのは真っ赤なウソである。犯罪発生率が増加したのではなく、犯罪が報道される頻度が高くなっただけだ。いや数の問題ではなく、以前と違って残虐で不条理な犯罪が増えたと感じる人もいるだろうが、そんなことはない。疑う向きは高橋哲哉教育と国家 (講談社現代新書)』を見よ。そこには戦後、少年犯罪が減り続けたことを示す実証データとともに、実に無邪気に一家皆殺しを企てた少女のケースが載っている。それも敗戦直後のことである。
だいたい自分の若い頃に比べて最近の若い者は、と愚痴るのは老人の病理とでも言うべきもので、クレタ島から出土した遺跡にも最近の若い者はなっとらん、と書いてあったそうだ。私の少年時代にも大人たちから言われたし、その世代も先行世代に同じようなことを言われたに違いないのだ。それらをすべて信じるなら、人類の歴史はたえまない退歩の歴史であって、とっくに滅びていてもよいはずなのである。

子どもの成長はすべて親の育児によって決定されるか

子どもがちゃんと育つかどうかは親(とくに母親)の育児にかかっている、という主張は説得力がある。しかし、その説得力が生じるのは、親の責任感や愛情に訴えて反論を封じるからであって、その主張が事実に基づいているからではない。
親のいない子、あるいは保護者に放任されて育った子でも立派に成長した例はいくらもある。それなのに親の責任ばかりが強調されて、それを多くの人が鵜呑みにするのは、育児・教育が社会にとって持つ意味が変わりつつあるからである。これはちょっと歴史を振り返ってみればわかることだ。
(以下の記事は、うろ覚えで書いているので誤記を見つけたらご教示下さい。)

江戸時代の子育て

主婦の役割としていわれた良妻賢母の「賢母」の部分に比重がかかり、主婦が育児にかかりきりになったのは近代、明治以降のことである。それ以前は(明治以降でも農漁村や商家ではそうだったが)夫婦はたいてい共働きで、それどころか一家総出で家業に従事するのが当たり前だったから、幼い子どものおもりは年長の子どもの役目だった。
夫は外で仕事、妻が家事と育児にかかりきりになる、という家庭内分業のあり方は、人口比にしてもごくわずかの、中流クラスの武家がモデルなのである。武家でも、大名や大身の旗本、大藩の家老クラスの上流の武家では育児は乳母や教育係の役目であり、下級武士の家では妻は内職に精を出すか、場合によっては他家に奉公に出たりもしていた(お岩様)ので育児に専念などできるはずもなかった。
だからといって、江戸時代の人々が教育や育児に関心を持たなかったわけではない。当時の代表的な教育書、貝原益軒『和俗童子訓』は江戸時代初期までの育児論、教育論を体系化し、その後の育児論・教育論に大きな影響を与えた。逆にいうと、江戸時代にはそれだけ育児論、教育論が盛んだった。戦乱のない、天下泰平の二六〇余年間、子育ては人々の大きな関心事であった。

(誤謬があったので削除しました。翌30日の記事をご覧ください。)

小山静子『子どもたちの近代』は江戸後期から大正時代までの子どもと教育の変遷をコンパクトにまとめた好著。教育の近代化についての本はこれまでにもいくつも出版されてきたし、子どもや家庭教育に着目した研究もあったが、教育の対象である子どもにジェンダーの観点を導入した点に特徴がある。

子どもたちの近代―学校教育と家庭教育 (歴史文化ライブラリー)

子どもたちの近代―学校教育と家庭教育 (歴史文化ライブラリー)

本書のもう一つの特徴は、教育史における家庭教育の役割の再定義である。大正時代に教育への関心が高まるにつれて家庭教育の意義が唱えられるようになったとたいていの教育史の教科書には書いてあるが、その「家庭」とはどういう機能を果たすものとして捉えられていたのか。小山は子どもが江戸時代までは「いえ」の子どもであったのに対して、明治以降は国家の子どもとして教育されるようになったことに着目し、「家庭」が国家の補完物であったことを明らかにしている。
このように子育ての語られ方は社会動向のなかで変化している。現在、子どもの非行や学力低下、それに対応して親の児童虐待や育児拒否が過剰に語られ、戦前の教育を理想化したり、親の育児義務の法制化が目指されたりしているのは、国家が自らの補完物として立ち上げた「家庭」に新たな役割を負わせようとしているからにすぎないだろう。捨て子、間引き(嬰児殺害)、児童売買がまかり通っていた戦前が、育児・教育にとってよい環境だったなどとよくも言えたものである。

教育基本法改正問題

国家と教育、または家庭の関係を変更しようという動きとして、教育基本法の改正問題が顕著な例として挙げられる。これについてはannntonioさんのブログに要を得た論文が掲載されているのを見つけたので、以下に結論部分だけ引用させていただく。

 黙示的・明示的に教基法「改正」が支持されている事態は、既に暴力が教育に遍在することへ違和を感じないよう訓致された結果、現象しているのだろうか? 不安の堆積をもたらす新自由主義、それを暴力で「なかったことにする」新保守主義。これらが手を携え、いま進行している教基法「改正」は、恐らく不安から転換した暴力をもたらす。もしくは不安を鎮圧させ暴力を爆発させないため、それらを圧倒する程の暴力による脅迫を招く。…以上が絵空事ではないとしたら、「改正」問題は、教育が暴力で包摂されそうになっている(されている?)のを見て過ごすのか否か、教育を通じて暴力を担う個人として再編成されようとしている(されている?)のを放置するのか否か、という問題として構成される必要があるだろう。2003年が歴史の時計の針を逆に戻した画期の年だったと後世笑われないためにでも、である。(http://d.hatena.ne.jp/annntonio/ より。)

与党および民主党で検討されている教育基本法改正問題については、さまざまな批判が出ているが、「不安」と「暴力」をキーワードに語る議論はまだ充分になされていないのではないだろうか。annntonioさんの論文は2年前に執筆されたものだというから、たいした先見の明である。
ここでいう「暴力」とは、直接的には児童によるイジメや校内暴力(死語?)のことではなく、大半(中の上以下)の児童・生徒の教育からの切り捨てという制度的暴力のことであろう。人々を出世競争の勝ち組と負け組に峻別する新自由主義は、負け組になるのではないかという不安(そう感じている人はすでに負け組である)を社会に充満させる。その縮図が学校である。テレビドラマの『女王の教室』や『ドラゴン桜』は誇張されてはいるが、いままさにそうなろうとしている現実の一断面を描いている。そこでそうした不安を鎮めるために家庭教育の重視や宗教教育、道徳教育などが強調されることになる。
さて、「最近の若者がダメになったのは親の育児がなっていないからだ」という居酒屋談義じみた主張をこうした社会的文脈に置き直してみるとどうだろうか。いまの親世代は自分の責任ではない制度矛盾のツケを負わされているのにすべては自己責任だと思い込まされようとしている、いわば架空請求詐欺にまんまと引っかかっているということになりはしないか。
うちには子どもがいないので要らざる心配をせずにすんでホッとしている。
ちょっと頭に血が昇って一気に書いてしまったので間違いがあるかも知れない。教育問題に詳しい方のご教示をいただければ幸いである。(当初、オレオレ詐欺と書いていたところを架空請求詐欺に変更しました。)