昨日の記事の訂正『江戸の子育て』について

昨日の記事で中江和恵氏の『江戸の子育て (文春新書)』について書いた部分に間違いがありましたので削除し、以下のように訂正します。
×「現代風の教育論でもっともやってはいけないといわれる過保護と放任の両極端をやっていたのが江戸の子育てだった。それでも子どもは育つのである。」
これは、江戸時代の、町人階級に限ってもすべての場合に当てはまるものではないし、中江氏もそのように叙述しているわけではありません。これはなにか別の書物で知った事柄を中江氏の著書にあったものと取り違えたものです。
しかも、この文の前後に私が挙げているのが貝原益軒『和俗童子訓』だけであり、かつ「おおらかな子育てがうらやましくもあり、またそれが『和俗童子訓』の考え方に通じている」とも記したため、あたかも益軒の教育論が過保護と放任を勧めているかのごとくになってしまいました。これは事実に反します。舌足らずな私の文章で弁解するよりも中江氏の著書からの引用によって訂正いたします。

前に見たように、貝原益軒は親の溺愛を批判し、子どもは小さい時から厳しく育てよ、と説いた。しかし心学者たちは、親の本能的な溺愛こそ批判したが、だからといって子どもに厳しくしすぎるのはよくない、とする者が多かった。(中江、p106)

私が「おおらかな子育て」と感じたのは、中江氏がさまざまな文献から再構成した江戸時代の人々の子どもの溺愛ぶりのことであり、学者たちは立場によって多少の温度差はあれ、溺愛を戒め、幼時から教育することを勧めていました。この点についても中江氏の著書から引用します。

事実、江戸時代の親たちは、子どもを溺愛し、身も心も子どもに捧げ尽くしながら、その一方で学者たちの意見に熱心に耳を傾け、読み書きだけでなく、子の教育全般について強い関心を持っていた。(中江、p13)

また、寺子屋の師匠についての次の記述も間違いです。
×「ちなみに町人の子どもも多くは寺子屋に通ったが、寺子屋の師匠(たいていは浪人した武士)の教育は読み書き算盤などの知育が主でしつけはしない。」
これもどうも別の本を読んで得た印象が入り交じってしまったため、このような曲解を断定口調でしてしまったようです。
中江氏によれば寺子屋の師匠は「江戸市中一般筆算より品行且つは徳義の道を先導するもの、この手習師匠の外にはあらざるなり」(中江、p165)と言われたそうです。中江氏の叙述によれば、町人の通う寺子屋の師匠の態度は次のようなものでした。

町人の師匠は、大体教え方が丁寧で、武家ほどには酷い折檻をしなかった。師匠を職業として生活していたので、あまり厳しくもできなかったのだ。(中江、p166)

不明を深く恥じ、読んでくださった方にお詫びするとともに、江戸時代の教育については中江和恵『江戸の子育て』に直接あたってくださいますようお願い申し上げる次第です。
なお、もう一冊の本、小山静子『子どもの近代』につきましては、内容に踏み込まなかったのが幸いして、大過ないことがわかりましたので、これ以降はそのまま残しておきます。

子どももいないし、教師でもないのに教育論に熱くなるのは、いささかみっともないことかも知れません。いまだに学生気分が抜けないからなのでしょう。
何よりもよくないのは、ずいぶん前に読んだ本の内容について読み返しもせずに書き散らしたことです。「母原病」的言辞がいまだに横行しているのを知ってムカッ腹を立てたあまり、ついつい筆がすべってしまいました。
これを薬に、以後、よくよく口を慎むようにいたしますので、この日記を読んでくださっていた皆様には、今後ともよろしくご指導下さいますよう、あらためてお願い申し上げます