ベンヤミン『暴力批判論』5「大」犯罪者

なぜ、「法は個人の手にある暴力を、法秩序をくつがえしかねない危険と見なしている」のか。
それは「法の目的と法の執行」、権利の擁護だとか、社会秩序の維持だとかを「無効にする危険と見なしている、というわけではない」(p34)とベンヤミンは言う。

個人と対立して暴力を独占しようとする法のインタレストは、法の目的をまもろうとする意図からではなく、むしろ、法そのものをまもろうとする意図から説明されるのだ。法の手中にはない暴力は、それが追求するかもしれぬ目的によってではなく、それが法の枠外に存在すること自体によって、いつでも法をおびやかす。(『暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)』p35)

この仮説を補強するためにベンヤミンは、「法の枠外」、アウト・ローの暴力、すなわち「大」犯罪者の例を挙げる。

「大」犯罪者のすがたは、かれのもつ目的が反感をひきおこす場合でも、しばしば民衆のひそかな讃歎を呼んできたが、そういうことが可能なのは、かれの行為があったからではなくて、ひとえに、行為が暴力の存在を証拠だてたからである。現行法が個人からあらゆる行為の領域で奪おうとしている暴力の、危険な登場は、まだ眼には見えぬところで、法に反撥している民衆の共感を誘うのだ。(『暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)』p35)

「民衆のひそかな讃歎」を呼ぶというと、鼠小僧の類の義賊だろうか。いやいや、確かに窃盗も暴力のうちだし、庶民的人気はあったようだが、やはりこそ泥はこそ泥、「大」犯罪者とは言い難いのではないか。せめて、石川五右衛門級でなければ釣り合いが取れない。
「絶景かな、絶景かな」とひとりごちる芝居の五右衛門はともかくとして、そのモデルとなったのは単なる盗賊団の首領というより、織豊政権を経て徳川幕府にいたる天下統一の流れに乗り遅れた、武装ゲリラのリーダーの一人であったろうと推測される。豊臣、徳川に仕えてまんまと阿波の殿様におさまった蜂須賀氏も、秀吉と組んでいなければ釜で煮殺されていた口である。同類に皿屋敷のお菊の父親に擬せられたこともある向崎甚内もいる(三田村鳶魚『江戸の白波』に詳しい)。五右衛門は芝居のヒーローに、甚内は刑死後に浅草・鳥越明神に祀られたというから「民衆のひそかな讃歎」どころか、あからさまに共感されていたということになる。
赤穂義士なども法秩序の側からみれば「大」犯罪者であろう。判決に不服だからといって、徒党を組んで武装し、人の家に押しかけて殺人・傷害を犯したのだから、犯罪者である。それを「義士」と呼んだところに「法に反撥している民衆の共感」があらわれている。
「大」犯罪者に共感する民衆の、法への反撥の背景には、司馬遷が『荘子』を引いて言う次のような洞察があるだろう。

これらのことから考えてみると、「鉤(帯の留め金)を盗んだ者は死刑となるが、国を盗んだ者は諸侯となり、諸侯の門のうちにこそ、仁や義は存在する」とは、虚構の言ではない。(『史記列伝 5 (岩波文庫 青 214-5)』p104)

似たような警句は西洋にもあったような気がするが思い出せない。素朴といえば素朴だが、案外、こうした世間知は事の本質を射抜いているのではないか。
このあとベンヤミンは、「法が理由をもって暴力におびえ、恐怖するのは、どういう機能を暴力がもつからだろうか」と問い、議論を進めるのだが、その結論は「大」犯罪者に対する「民衆のひそかな讃歎」のなかに暗示されているように思う。