教科書批評

教科書的、あるいは、教科書通り、という言葉には、間違ってはいないが味気ない、というようなニュアンスがある。

国語教科書の思想 (ちくま新書)

国語教科書の思想 (ちくま新書)

本書の著者も「中学生あたりまで、教科書にはまちがいはないものだと思っていた」という。そこに「国語教科書をまちがいのないテクストとして扱うのではなく、まちがいがあるかもしれないテクストとして分析してみよう」という本書の試みの面白さがある。
とはいえ02年に某社刊行の中学社会科の教科書が新潟県中里村の「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」と記載してしまったのはあまりにも有名な話だが、あれほど面白いものはまれだから話題になったのであって、単純な誤記や誤植はときどき見つかっている。だから教科書にまちがいがないわけではない。
しかし、本書の分析は、「はつらつ」が「はつらいよ」になってしまったというような単純ミスを対象としているわけではない。そもそも単純ミスなら分析するまでもない、指摘すればよいだけだ。本書は「教科書から一歩離れて、そこに書かれているのはどういう思想なのか、その思想をどういうレトリックで語っているのか、そしてその教科書は子供たちがどういう人間になることを望んでいるのか」という視点からの「批評」である。つまり、本書が分析するのは「教科書の思想」である。教科書の思想というと歴史教科書ばかりが注目されるが、対象となるのは採用率の高い小・中の国語教科書。
著者は高校国語教科書の編集にも携わった国文学者、「言説分析」と「構造分析」によって、「国語」教育の教科書に隠された「道徳」教育に照明をあてる。