フルッサー

バウ!といったっけ。
ある学術書の紹介文より。

めざましく変わる環境としてのメディアにどう対応すべきか? ハイデガーラカン、パース、フルッサーらの哲学に拠りつつ、閉じつつ開かれる場としてのメディアの理論を構築する。

寡聞にしてフルッサーの哲学は知らない。

追記

mojimojiさんより情報。
フルッサーは実在する!らしい。