mojimojiさんが、教育と国家との関係について説いておられる。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20060408/p2

 国家が、個々人のための国家であるためには、国家が体現していないもの、現に存在してはいないものが生まれてくる領域がなければならない。目の前にある世界とは違った世界を構想することが許されている領域、および構想するための力が必要である。すなわち、様々な精神的・身体的自由、および自由な知性が必要である。

記事のテーマが「国家と反国家」と銘打たれているので、国家を軸に語られるのは当然だが、その国家はあくまで「個々人のための国家」である。国家は国民に先立つ、国家あっての国民だから(国民は国家の民だから)、などと概念をもてあそぶ利口者もいるが、国家の創設者はその意味での国民ではありえない。また、国家なき人々は存在するが、人々のいない国家は実在しない。国家は国民に先立つなどと口走るのは既存の価値秩序の永続への執念に取り憑かれた人だろう。国家は人々が社会生活を営むための道具である、という点で私はmojimojiさんのご意見に賛同する。