唯我独尊

教育基本法改正案についての研幾堂さんの新しい論考を急ぎ読む。http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20060505

 しかしながら、今回の改正案は、教育行政を、社会意志を体してその妥当可否を検討しているとされる議会から、奪い取ってしまい、教育行政の計画実行を、議会の立法過程からも、解き放ってしまうことになるものであり、私としては、これに反対する以外のいかなる意見も持ちようが無いのである。すなわち、改正案は、行政行為の根本法であるという意味以外を有さず、それ故に、そこに言われる教育とは、純然たる統治作用以外の何ものでないことになるからである。もしこの改正案が議会で可決されることになれば、それは、ある特定の社会的意志が具現化されたことが承認されたことになるのであり、それが法律として固定化されて、あとは行政機関の解釈に委ねられるとなれば、まず、そこで選ばれなかった社会的意志は、最早二度と(この改正法案が、再改正され、そこで選ばれたものとなるまで、)、教育の意味するものとしては認められることは無く、教育は、ただ国家作用として与えられた意味だけを、実質的には有するものとされるであろうし、次に、行政機構での解釈は、法律での趣旨を十二分に尊重することも、またそこから逸脱しないことも、批判以前に当然視されてしまっているので、もう何がおかしいのかを言うことも出来なくなるということになるであろう。

つくづくこの改正案、というか新法案は、転倒している、と思う。
政策がその根拠法の改正を要請している。
これでは、やった者勝ちの政治になってしまう。
独断専行する行政府に、行政府の決めたことをひたすら追認するだけの国会。
こう考えると、多くの方が注目していた愛国心や伝統文化、公共の精神、家庭教育などの他の条項の意味も一貫してくる。
この法案の性格は、政府が決定したことへの問い直しを拒否するという宣言ではないか。

国家の内部において、私は再び<国家>に出会わないことでしょう。*3<律法>の前にあって、国家は私の顔を見ず、国家は裁かれず、私は永久に裁かれ続けるからです。国家は「顔を見ない」という快楽とイデオロギーを配給します。

http://d.hatena.ne.jp/kurahito/20060418/p1

行政の行政による行政のための政府。究極のトートロジー

不当な支配に服する(国会における代表者を通じて行動する)ことなく、この法律(教育基本法)の定めるところ(教育振興基本計画)によって行われます。(法律を弄らなくてもパラダイス)http://d.hatena.ne.jp/kurahito/20060501/p1

id:kurahitoさんのご慧眼、図星でしたね。最初は、なんでレヴィナスもってくるんだ?と思っていたけれど。