神話的暴力について(メモ)

この半月、読書会に参加するために、ベンヤミン「暴力批判論」ばかり読んでいた。
神話的暴力については前に書いたとおり。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20070810#1186746129
これに、「祟り」の語源は神託だろうという柳田国男説を付け加えておく。
ちくま学芸文庫版では「顕現の暴力」となっている文章が、岩波文庫版では「宣言の暴力」と訳されているのにも、ピッタリ当てはまる。
「神話的暴力は、祟りの暴力である」としてよいと思う。
さて、問題は神的暴力である。
僕個人の印象論にすぎないけれども、神的暴力とは次のようなものだと思う。
神的暴力とは、神話的暴力を破壊するものだ。
神話的暴力を「祟り」だとすると、神的暴力は祟り(顕現・宣言)によって発生した境界・結界(この別様の表現は「呪」である)を破壊するものでなければならない。
こう考えてくると、怪談のなかにも例は出てくる。
例えば、上田秋成雨月物語』「青頭巾」の快庵禅師の一喝、『死霊解脱物語聞書』の祐天上人の称名念仏、などが思い浮かぶ。
思いつきだけ、メモしておく。