一人多い客

先日、大伯母の通夜に参列した。
母が、足の腱を痛めたので、急に代参することになったのである。礼服のズボンがきつい。フー。
九四才、大往生といえばいえるが、若くして夫を亡くし、長男に先立たれ、苦労続きの人生だった、と今日聞いた。
私から見て、母方の祖父の姉妹に当たる人で、私の幼い頃、法事などで母の実家(秋田の山奥)に帰省すると、妹二人を引き連れて、三婆然とした風情で親戚の集まりを仕切っていたのを思い出す。
実は私自身はおぼえていないのだが、幼い私のことをずいぶんと可愛がってくださったらしい。ところが恩知らずなことに、世知長けて言うことやることきびきびとしたこの大伯母様は、子どもにはちょっと怖い存在だったことしか思い出さない。
ところが、今日、遺影を見ると、少しのんびりとした性格の人が多い母方の親戚のなかでは、珍しくきりっと襟元をただした大伯母の顔が好きになっていた。これも中年になったせいか。
それはともかく、通夜は五反田近くの桐ヶ谷斎場。
近代的な設備のなかで幾組もの葬儀が手際よく進行していく。

で、ここからが本題。
焼香なども一通りすんで、控え室でごちそうになる(といっても、私はジュースと精進揚げだけれども)。
同じテーブルを遠縁の親族たちと囲む。
知らない人ばかりのなかに、秋田の叔父貴(母の弟)の顔を見つけたので引っ付いてビールを酌しながら従姉妹たちの近況などを聞く。
この叔父貴と会うのも数年前、亡くなった奥様の弔問にうかがった時以来だが、それでも「ああ、憶えている、赤ちゃんの頃会った」という人たちよりは、よほど親しみがある。
誰それさんは今どうしている云々の噂話がひとしきりなされたあと、大叔母(三婆の末妹)の次男の嫁さんという人が叔父貴に向かって「今日はお一人できたのですか」と聞く。
叔父貴は「ええ、もちろん俺ひとりで」と言う。
すると、大叔母の三男の嫁さんという人が、「あらあ、それじゃ、隣にいた女性の方はどなただったかしら」と言う。
叔父貴は私の顔をきょとんと見て「俺の隣にそんな人いたか?」と尋ねる。
「いや、叔父さんの隣は男性だったはずです」
「いえいえ、女の人がいましたよ」
と小母様方は口をそろえるのだが、叔父貴は前列のいちばん端にいて、その隣は白髪まじりの初老の男性だった。
「そんな人いたっけかなあ」と首をかしげる叔父貴。
「いました、いました」とだめ押しをする小母様方。
私は部屋を見渡しながら「どなたでしょう、ここにいるはずですよね」と言ってみる。
小母様方も多くはない参会者の顔をながめながら、「あら、いらっしゃらないわねえ」とつぶやく。
それでも小母様方はあきらめない。
「でも、あのとき、横にいらっしゃったわよねー」
「いましたよねー」
とうなずきあいながら、怪訝な顔をしている。
よくある怪談「一人多い客」発生直前の気配である。
しかし、おそらく小母様方は、叔父貴が長年連れ添った奥様を亡くされていることを忘れている。
パーキンソン病で苦しむ妻をつきっきりで介護した涙もろい叔父貴に「てっきり奥様かと思った」というセリフを聞かせたくないなあ、と思っていた矢先、別の遠縁のご婦人が冗談めいた口調で「再婚はなさらないの」と割って入った。
「いやあ、とんでもねえ」
「そうでしょうねえ。私も死んだ旦那のことが忘れられなくて、ほんとうにいい人だったあ」
と、さめざめと泣き出した。
それを見て小母様方は、ご自分たちがきわどい線の話をしていたのに気づいたのか、ハッと口をつぐんだのが印象的だった。