フッサール『危機』メモ、第五節

最近、仕事以外にもいろいろあって、フッサールのおさらいもままならないまま、年を越してしまった。
学問が、とくに「若い世代」の不満に応えない、というかたちで現れたヨーロッパ文化の危機は、諸科学の不備によるのではなく、その深層に諸科学を統一すると期待されていた普遍的哲学の挫折がある。そうフッサールは考えていたようだ。
それがヨーロッパ的人間性の危機だとまでいわれるのは、普遍的哲学の構想が、ルネサンス期に古代ギリシア文化の復興に仮託して描き出されたヨーロッパ近代の理想的人間像と切り離せないからなのだろう。
そうすると、普遍哲学の挫折は、ヨーロッパ近代が理想とした人間像の挫折である、ということになる。
以下、引用は『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』中公文庫版から。

思考全体が異常な転回をとげるのは、必然的な成り行きであった。哲学が自己自身にとって問題となり、しかも、その問題はさしあたっては形而上学の可能性というわかりやすいかたちをとったが、上述したことから考えれば、実はそれによって、理性問題全体の潜在的な意義と可能性とが問題にされていたのである。実証科学はと言えば、それはさしあたっては疑問の余地のないものと考えられていた。(p30)

第五節の冒頭に「思考全体が異常な転回をとげる」とあるのは、カントのコペルニクス的転回を念頭に置いてのことだろうか。第四節の「こうしていまや、数世紀にもおよぶ挫折の真の根拠の明確な自己理解に迫らんとする、ヒュームやカントから現代にいたる、永い情熱的な苦闘の時がくることになる」を受けているのだろう。
そうすると、実証科学は「疑問の余地のないものと考えられていた」というのも、カントにとってのニュートン力学を想定すればよいのではないか。
しかし、実証科学が「疑問の余地のないもの」だとしても、そのそれぞれの成果は限定された領域でのもので、諸科学の成果の、人間の知の全体の中での意義は形而上学によるのであって、いまや形而上学の存立可能性自体が問い返されている以上、知の全領域がある種の危機的状況にあるのだ、とフッサールは考えていた。

認識する理性が、存在者がなんであるかを規定しているというのに、理性と存在者は、分けられるべきものであろうか。〈歴史的過程の全体は、もっとも内的な隠れた動機を解釈することによってはじめて明らかにされるといったきわめて注目すべき形態をもつものだ〉という示唆をあらかじめ理解していただくには、この問いだけで十分だろう。(p30)

「この問いだけで十分だろう」と言われても、私の呆け中年脳には全然十分ではない。
もう少し、フッサールの言葉を追ってみる。

すなわち、歴史的過程は、順調な発展というかたちをとるものでもなければ、永続的な精神的獲得物の連続的成長というかたちをとるものでもなく、さらにはまた、偶然の歴史的状況から説明されるような、概念とか理論とか体系といった精神的諸形態の変化というかたちをとるものでもない。普遍的哲学、およびそれに必要な方法という一定の理想が、いわば哲学的近代とその全発展系列を創建するという意味でその端緒をなしているのである。(p30-p31)

ここでフッサールは、近代とは哲学の時代だ、と大見得を切っている。フッサール現象学というと、地道にコツコツという印象があったものだから、哲学の理念(理想)が「哲学的近代とその全発展系列を創建する」などと、なんだかヘーゲルのような大風呂敷を広げられるとビックリしてしまう。

しかし、この理想は実際には効果を発揮することができないままに内的に解体してしまう。この解体が、この理想を継承し、復興し、確立しようとする試みに対抗して、その徹底の度合はさまざまであるにしても、革命的な再編成を動機づけることになるのだ。こうしていまや、普遍的哲学とその真の方法に関する真の理想の問題が、歴史的、哲学的な運動の実際の内的衝動力になるのである。(p31)

これはフッサールの時代認識だろう。近代哲学の理念は実現することなく解体し、いまやその「革命的な再編成」の時機にある。それが「歴史的、哲学的な運動の実際の内的衝動力」であり、それを解釈することによって歴史的過程の全体が明らかにされるような「内的な隠れた動機」である。
なんだか、デカルト方法序説』を連想させるような危機感が感じられる。また、なんとなく学生時代に読んだカント論・坂部恵『理性の不安』を思い出したりもした。

したがって、哲学の危機は、哲学的普遍性の構成分と見られる近代の全学問の危機であり、その文化生活の全体的な意義という見地から見た、すなわちその全「実存」にかかわるヨーロッパ的人間性の危機であり、さしあたっては潜在的なものであったが、しかし次第にあらわになってきた危機なのである。(p31-32)

まだ途中だけれども、もう、眠くなってきたので、ここまで。