パトチカ4躓きの一行

パトチカは、「性行動もまた、日常の世俗性に対するこの魔的な対立物の次元に属するということは、特別な証明を要しない」という。それはそうだろうと思う。
けれども、

同時にまた、性行動においてはオルギア的領域が不可避的に責任の領域に関係づけられるようになることが明らかである。(パトチカ、p164)

というのは、私には全然、不可避的でも、明らかでもないので困ってしまう。
性行動におけるオルギア的領域とは、忘我すなわちエクスタシーを伴う領域のことである。倫理や法が介在しなければ、それと責任とは関係づけられないのではないか、と思うのだが、どうだろう?
そもそもパトチカ自身が「魔的なものは、元来はそれと関係のない責任と関係づけられねばならない」と言っていなかったか。不可避的に関係づけられるのであれば、魔的なものと責任とは「元来はそれと関係のない」わけがないだろうし、「元来はそれと関係のない」からこそ「関係づけられねばならない」と要請されるのであれば、両者が不可避的に関係づけられるのは、全然明らかではない。
性行動、オルギア的領域、魔的な次元、責任、といったものについて、パトチカが思い描いていることと、私が思いつくことの間にはかなり落差があるのだろうか。
著者にとって自明のことが、読者にとって自明でないとき、読書は行き詰まる。パトチカがさらりと書いているだけに、ここはかなり辛いところである。どうしたものか。
某新聞の書評欄には、この本について、すらすらっとわかったような記事が載っていたが、とんでもない。私にはこのあたりでお手上げである。
ここは棚上げにして先を読み進むか。