孫子「上下同欲」

誰でも知っている孫子の言葉に「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」というものがある。
正しくは以下の通り(漢文体系万歳)。

ゆえに曰く、彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ず殆うし。

この文には前段があって、次のようになっている。

ゆえに勝を知るに五あり。もって戦うべきともって戦うべからざるとを知る者は勝つ。衆寡の用を識る者は勝つ。上下の欲を同じくする者は勝つ。虞をもって不虞を待つ者は勝つ。将の能にして君の御せざる者は勝つ。この五者は勝を知るの道なり。

己を知るといっても、私小説的な話ではない。時機、戦力、目的意識、戦略、指導者の資質、この五点を自らに問い直す。徹底してプラグマティックな話である。
あらためてながめてみると、この五点うち「上下同欲」というのは、かなり難しいのではないかと思えてきた。
目的意識の一致というのは重要である。だからこそ、国家から強盗団に至るまで、およそ戦闘集団たるものは意志統一を重視する。場合によっては思想統制をする。
しかし私利私欲を捨てて公の目的に挺身せよと言われても、人間は十人十色、皆が皆そうできるわけでもない。実際、孫子の言う「虞」すなわち計略の多くは、敵の内紛を引き起こして敵戦力を削ぐことであった。
中でも厄介なのは、目的が思想統制にそぐわない場合である。具体的には自由を求める闘争において、統制の打破という一点でのみの連帯以外は実質的に不可能である。闘争に参加する個々人の、それ以外の動機については不問に付すほかない。
ここからさらに厄介な問題が起こってくるのだが、考えあぐねたままでいる。