「坊にもわかる」

「ネトアカ」という言葉があるのを知った。
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20090831/1251727387
略すと「ネアカ」になるのだろうか。
(私たちの世代にとって)ネアカの反対語は、ネクラである。
スポーツやアウトドアのレジャーに興味を示さず、友達と集まってワイワイ楽しむよりも、一人で本を読んだり音楽を聴いたりしていることの方を好む、そんな青年を指す言葉が「ネクラ」である。
ちなみに私はネクラだった。
今でもその気味がある。
したがって、ネアカのterracaoさんとは対照的な立場に立っているわけだ。
立場は違うが私も憤死などはしない。
たかが政権交代ではないか。
民主主義国ならときどきあってしかるべき話である。
絶対に正しい唯一の政党が国家を統治すべきだとは思っていない。そこそこに正しく、そこそこに間違っている程度のだらしのない人間の集まりが、ドロドロの闘争とベタベタの妥協をくり返してなんとかマシと思える道を探っていくのが、理想の民主主義政治だと考えている。
しかも、今回の選挙の結果もたらされたものは、せいぜいが右派政権から中道右派政権に替わる程度の話ではないか。
とは言え、この国での初めての本格的な政権交代であり、それ自体はよいことだ。
私が民主党政権に望むのは、選択的夫婦別姓制度の導入など、現行憲法下でも出来て喜ぶ人はいても困る人のいない当たりさわりのない改革を一つか二つと、一票の格差を二倍未満に抑えるような選挙制度の改革をやり、あとの四年間は何もしないで政権にじっとしがみついていてくれることである。
それだけでもずいぶん違う。
自民党長期政権の弊害とは、自民党イコール国家であるかのような錯覚を蔓延させて、その結果、上級官僚−族議員−財界の一部のインフォーマルな人間関係が、国家の意思決定のルートになってしまったことである。
今夏の選挙で、国民には他の選択肢もありうるのだということが現実のものとして示されただけでも大きな成果だ。この効果が浸透するためにも、一年や二年で閣内不一致で下野(細川連立政権の時に実際に起きたことだ)などということがないようにしてもらわなければ困る。
アメリカからの自立だの官僚主義の打破などは、ちゃんとしたブレーンを固めた上で、次の衆院選で勝ってからで結構。ましてや、(お笑い)日本国教育基本法案だのをもちだしたり、自民党と大連立を組んでの憲法改正だのを言い出したりしたら目もあてられないことになる。
私の言っていることは生ぬるいかもしれない。しかし、いずれ「坊にもわかる」。