Web評論誌『コーラ』12号刊行

いや、まったくひどい話である。
不景気の寒空の下、足を棒にして得意先回り(得意先というのは言葉のあやで実態は不得意先回り)を終え、クタクタになって事務所に帰ってメールチェックをしたら、とんでもないお知らせが舞い込んでいた。
そう、Web評論誌『コーラ』12号が発行されたのである。
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20101215/p1
実はかくいう私と浅からぬ因縁のあるシリーズ〈倫理の現在形〉の第11回は、ひるます氏による「倫理って何なんだ〜!――倫理の共有は可能か?」である。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-11.html
この、第1回目以外はたいへん面白くて、ためになるリレーエッセイと私の間にどういう因縁があるのかは、これまでさんざん語り尽くしたので、あらためて書く気力もない。
黒猫編集長の奸計により、不様な書評を寄稿してしまって以来、このWeb評論誌『コーラ』が刊行されるたびに、地獄の底にたたき落とされるような絶望感を味わってきた。
しかし、今回は一つの希望、ひるます氏が使っている言葉をもじれば、リアルの到来が予感されたのである。
これまで、読まない方がいい第1回をのぞけば、このシリーズ〈倫理の現在形〉は、各回ともそれぞれの執筆者の方々により、倫理とは何か?という問い直しの契機を秘めつつも、倫理が問題になるさまざまな場面から、各回執筆者の関心にそって特定のテーマが取り上げられ、論じられてきた。つまり、総論というよりは各論的な論考が続いていたのである。
ところが今回の、ひるます氏の「倫理って何なんだ〜!――倫理の共有は可能か?」は、冒頭から「倫理って何なんでしょうか」という問いで始まり、倫理と道徳という言葉の使い分けや、倫理的行為とは何かなど、倫理というテーマの中心的話題を、軽妙なやりとりの楽しい対話形式で検討している。
また、倫理の現在形の核心が「他者への配慮」にあるという、ひるます氏の指摘には、これまでのこのシリーズ〈倫理の現在形〉の執筆者各氏も異論のないことだろう。
これはつまり、シリーズ〈倫理の現在形〉の総論なのだ。
一冊の本にたとえるならば、総論というのは、序論か結論で述べられることである。このシリーズ〈倫理の現在形〉の残念な第1回を除けば、第2回目は野崎泰伸氏による、プラトンにさかのぼっての議論で始まっており、これはつまり、歴史的なスタイルでの序論に相当するだろうから、今回のひるます氏の総論は結論に相当するだろう。
これはつまり、つまり、つまり、つまりである。つまるところ、このシリーズ〈倫理の現在形〉は今回をもって終了すべき時を迎えたのである!
だって、もう話は終わっているのだから、これは最終回とせざるを得ないではないか。「B型H系」ではあるまいし、クライマックスを過ぎたあとまでダラダラ続ける必要はないのである。
黒猫編集長にはこの際、是非ともご英断をいただき、私一人にとってのみはなはだ精神衛生上よくないこのシリーズを終了させていただきたいものと願ってやまない。