「立ったまま考える」科学史家の思想

フランスの科学史家・ジョルジュ・カンギレム(1904−1995)の評伝だが、小著ながら科学認識論(エピステモロジー)と呼ばれる分野の第一人者の人物像と学問、教育活動が生き生きと描かれていて読者を飽きさせない。著者ルクールは、カンギレムの直弟子にあたる科学哲学者で、邦訳された著書に『ポパーウィトゲンシュタイン』(国文社)、同じ文庫クセジュで『科学哲学』(白水社)がある。

カンギレム ─ 生を問う哲学者の全貌 (文庫クセジュ960)

カンギレム ─ 生を問う哲学者の全貌 (文庫クセジュ960)


本書は、フーコー(彼もまたカンギレムの直弟子)による熱烈な賛辞の引用からはじまる緒言、名門アンリ四世高校でアランの薫陶を受け、高等師範学校に進学して同期生のサルトルらと交友した学生時代から「レジスタンスの真のヒーロー」として活躍した青春時代を描いた伝記的な第一章、医学・生理学的概念の成立を探究してバシュラールの後継者としての地位を固める第二章、科学認識論と生命論の業績を紹介する第三章、第四章、教育者としての活動を描いた第五章とエピローグからなるが、著者ルクールは巻末に「カンギレム先生の思い出を少しばかり」と題したコラムを追加している。1960年代の中頃にカンギレムの指導を受けた著者の目を通した気難しい「カン様」(カンギレムのあだ名)の姿が活写されていて味わい深い。
授業で学生たちは「立って考えよ」と教えられる。これは「解き放たれた思考が坂を転げ落ちるのを拒みなさい」ということなのだそうだ。つまり、自分が取り組んでいるテーマへの注意がゆるんで思考が散漫になったり脱線したりしないように、ということなのだろう。同時に、医学史を研究するにあたって医師の資格を取ったカンギレムのことだから、つねに実践の現場を意識せよ、というニュアンスもあったかもしれない。
恥ずかしながらカンギレムについては不勉強で、バシュラールフーコーの中継点のような印象しかもっていなかったが、本書に接してみて、カンギレム自身の著作にも挑戦したいと無謀にも思った。