子張

漢書』芸文志によれば、『論語』子張編には実は現存のテクストの他にもう一つのバージョンがあり、そちらは「よげんの書」であるらしい。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120220/1329665918
どこをどう考えたらそうなるのか、風邪の治りかけの頭で考えた。
現行の子張編自体にも怪しげなところはあるが、鍵を握っているのは子張という人物なのではないか。
論語』の各編のタイトルには深い意味はなく、冒頭の文章から適当に語句を拾って便宜的に名付けただけだと習ったことがあったが、子張編だけはそうではなく、子張という人物に注目すべきだということなのかもしれない。
そう考えて、『論語』で子張の登場する場面を拾い読みしてみたら、さっそくいかにも怪しげな問答が出てきた。

子張問。十世可知也。子曰。殷因於夏禮。所損益可知也。周因於殷禮。所損益可知也。其或繼周者。雖百世可知也。

ここで子張くんは、未来社会がどうなっているかわかりますか、と孔子先生に質問しているのである。
孔子の数ある弟子のなかでも、こんなバカなことを質問したのは子張だけだろう。
こう尋ねられた孔子先生は、そんな夢みたいなことを考えているヒマがあったら地道に勉強しなさい、と説教するかと思いきや、過去の政治体制と現在の政治体制を比較すればどこがどう変わったかがわかるから、現在の政治体制を知れば遠い未来の政治体制についても予測できる、と自信たっぷりに答えている。
そう簡単なものでもないだろうとは思うのだが、なにはともあれ子張は孔子先生から未来予測の方法について直伝を受けたのである。そうである以上、「よげんの書」としての子張編がある可能性もないとは言えない。
もっとも、子張は孔子先生から「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」(先進編)と叱られている当の人物であるから、考え過ぎもほどほどにしておくべきかもしれない。