私は吉本隆明のファンではない

しばらく前に評論家の吉本隆明が亡くなったというニュースがあった。
吉本といえば思い出すのが、友人の中に、私のことを熱烈な吉本ファンだと誤解したものがいたこと。
学生時代にお世話になった先生の一人が吉本と懇意にしていたが、私自身はあまり強く惹かれた記憶がない。
最初に手にとったのは、当時中公文庫で出ていた『書物の解体学』だった。この本で扱われているのが、バタイユブランショ、ジュネ、ロートレアモン、ミシェル・レリス、ヘンリー・ミラーバシュラールヘルダーリンユングといった、西欧の文学者・思想家たち。今から思えば、おそらくこの本は吉本隆明によるヨーロッパ文学・思想の解読というところにテーマ設定の妙があって、吉本の著作としては傍流に位置するものだったのだろう。しかし、そんなことを知るよしもない高校生の私はこういうものか、と思ってしまった。
そして、次に読んだのが『世界認識の方法』、題名がかっこよかったから読んだ。来日したフーコーとの対談だが、二人が何を論じているのか皆目わからなかった。わかったのはフーコーがフランス人だということ。先に読んだ『書物の解体学』でも登場するのはフランス人が圧倒的に多かった。そこで軽薄な私は「そうか、文芸評論とか思想っていうのはフランスが本場なんだな」と早合点してしまった。
そのあとに読んだのが角川文庫になった『共同幻想論』と『言語にとって美とは何か』。『心的現象論序説』も買ったもののいまだに読まずじまい。
それから当時『海燕』という雑誌に連載されていた『マス・イメージ論』。
反核異論』に違和感を覚えて、このあたりで打ち止め。
その後は関心が薄れて、必要に応じて過去の著作を参照することはあったが、一冊丸ごと読み通すということはしなくなった。
この程度の読書しかしていないのに、それでも吉本ファンと誤解された。不思議なものである。