累の怨霊は怖かったか

今週のお題「夏に聞きたい、怖い話」に応えようと思う。
この手の話は大好物だ。
実は最近、怪談がらみの仕事をしたばかりである。

死霊解脱物語聞書―江戸怪談を読む

死霊解脱物語聞書―江戸怪談を読む

監修者の小二田誠二先生のブログ。
http://blog.goo.ne.jp/koneeta/e/0dbde049e73623a2dbd5fb247b0aed16
私は小二田先生のお手伝いで、注と大意を作成させてもらった。
ふだんこの「献立表」では自分の仕事の宣伝はしないことにしているのだが、今回ばかりはご勘弁いただきたい。
昨年、妻と二人で累ヶ淵伝説の故地、常総市羽生町を訪ねたのも実はこの仕事の一環だった。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20110505/1304576024
『死霊解脱物語聞書』の成立についての私見(妄想)は、お世話になっているWeb評論誌「コーラ」17号(8/15刊行予定)に寄稿させていただいたので、そちらをご覧いただければ幸い。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html
怖い話と言えば、Web評論誌「コーラ」17号のための原稿を入稿した際に背筋の凍るようなことが起きた。
締切日にいったん送稿したあと、私の悪い癖で、手直しをしたくなってしまった。そこで、恐れながらとメールで黒猫編集長におうかがいを立てたところ、いいですよと快く締切を延長してくれる旨の返信をいただいた。
そこで私はつけあがり、無名で文章の下手くそな私のコラムを掲載してくれている黒猫編集長に対して忘恩の振る舞いに出た。メールを知人○○氏に転送し、ついでに「なーんだ、締め切りは延びるんじゃないか、こんなことならあわてて書くこともなかった。次は督促されるまでねばろう」などと、実に不埒千万なことを書いて送信したのである。
そうしたら、黒猫編集長から返信が来た。

○○さん宛のメールが間違って当方に届いていますよ。

うっぎゃゃゃゃああああ!
なんてこった!と嘆いても泣いても、もう取り返しはつかないのである。
ひたすら平身低頭、無礼をお詫びする毎日。
ああ、あんなに肝が冷えたのは久しぶりの経験だった。
本当にあった怖い話である。
閑話休題。以下では『死霊解脱物語聞書』に登場する累の怨霊の何が怖いのか、ということを少し書いてみたい。
江戸時代、元禄三年に初版が刊行された『死霊解脱物語聞書』は、寛文十二年(1672)、下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)で、菊という少女に父親・与右衛門の先妻である累(かさね)の死霊が取り憑き、村中を巻き込んだ騒動が足かけ四か月にわたって続いていたのを、飯沼弘経寺の修行僧・祐天が解決するまでを描いたルポルタージュである。本当に「本当にあった」怖い話なんである。
この話、実は怪談ファンの間ではかねてより有名で、研究書も、国文学の立場から高田衛新編 江戸の悪霊祓い師(エクソシスト) (ちくま学芸文庫)』、民俗学の立場から小松和彦悪霊論―異界からのメッセージ (ちくま学芸文庫)』という二大名著があり、史実の検証では浅野祥子「『死霊解脱物語聞書』の考察」(『国文学試論』13号、大正大学、1997)が墓誌過去帳を丹念に調査している。今回刊行された『死霊解脱物語聞書―江戸怪談を読む』では小二田誠二氏がメディア論的な分析と考察をおこなっている。
そんなわけで、一介の怪談ファンが今さら付け足すようなことは何もないのだが、妄想を繰り広げる分にはかまわないだろうし、実際、この物語はさまざまな解釈を喚起しうる、実に面白い話なのだ。
寛文十二年一月、羽生村の農民、与右衛門の一人娘菊が急な病で倒れた。話はここから始めさせてもらおう。菊発病以前の経緯については、Web評論誌「コーラ」17号(8/15刊行予定)に投稿した拙文で詳しく妄想したのでそちらをご覧いただきたい。
菊は一四歳、家の跡取り娘として前年の暮れに婿を迎えたばかりだった。意識を失った菊を心配して父と夫が「菊よ菊よ」と呼びかけると、やがて少女は目を覚まし、父親をハッタと睨みつけるや、声を荒げて言った。
「お前、こっちに来い、噛み殺してやる」。
与右衛門は娘の豹変にうろたえた。「菊よ、気でも違ったのか」。
少女は宣言した。「我は菊にあらず、汝が妻の累なり」。
そして、与右衛門が最初の妻・累を殺したことを糾弾し始めた。菊の父・与右衛門と新婚の婿・金五郎は逃げ出した。
そこへ、騒ぎを聞きつけた村の青年たちが集まってくる。菊は何か激しい苦痛を感じている様子で、七転八倒してもがき苦しみ、しばしば気絶する。村の青年たちが「お菊ちゃん、大丈夫?」と声をかけると、少女は次のように答えた。
「みんな、何を言っているのかしら。私は菊じゃないから。与右衛門の昔の妻で累という女です、そこんとこよろしく。私の姿の醜いことを嫌った与右衛門によって非情にも鬼怒川に突き落とされ首を絞められて殺されました。その怨念を晴らすために来たのです。わかったら与右衛門をここに連れてきて。今あいつは菩提寺に隠れています。私に会わせてこの犯罪を裁き、私をこの苦しみから救ってちょうだい。あらくるしやうらめしや」(広坂・意訳)
以上が、累の怨霊が最初に出現した場面である。
これが読者にとって怖いかと言われたら、不思議ではあっても決して怖いものではない。
では、当事者にとってはどうだったろうか。与右衛門は怖かったろう。可愛い一人娘が、突如豹変して、鬼のような形相で自分の旧悪を暴きたてたのだ。いちいち身に覚えのあることだから、さぞや怖かったろう。夫の金五郎にとっても、新婚の妻の人格が突然変わって舅の殺人を告発しはじめたのだから、これも怖かったろうと思う。
しかし、この騒ぎの見物に集まった村の青年たちにとってはどうだったか。
菊=累の話を聞いたうえで、「彼女の言っていることは菊の心のうちから出た言葉とは思えない、なるほど死霊が言わせているのだろう」と、あっさり納得してしまうのである。怖がっているようには見えないどころか、拍子抜けするほど菊=累の言葉を真に受けて、累の告発する事件の真偽をただそうと、逃げ出した与右衛門を探しに行くのだ。
これを純朴な前近代人の軽信と受けとめるのは思い違いで、菊=累の話を「いか様怨念霊鬼の所以と聞えたり」と評したのは村人の中の「心さかしきもの」なのである。この『死霊解脱物語聞書』にはいろいろな人が登場するが、その誰もが菊に取り憑いたのが累の死霊だと素朴に信じていたわけではない。主要人物である名主・三郎左衞門と僧・祐天は、本当に累の死霊か?狐狸妖怪のたぐいではないか?と疑っている。もちろん名主も祐天も「心さかしきもの」たちである。
だから、菊=累と最初に対話した村の青年層のリーダー格とおぼしき「心さかしきもの」も、もしや妖怪の類いかと一瞬は疑ったろう。しかし結局「我はきくにてはなし与右衛門がいにしへの妻に累と申女なり」と本人が言っているのだからそうなんでしょう、という感じで、彼女の名乗りを受けとめた。これにはそれ相応の理由があるはずだ。
菊の人格の変化について、例えば精神医学や心理学の知識を参照して、多重人格であろうとか、自己暗示による催眠状態だろうとか、あるいは自覚的な演技だろうとか、あれこれ推測することはできる(それも楽しい読み方である)。だが、菊本人に会って話を聞くわけに行かない以上、いかなる精神科の名医でも練達の心理カウンセラーでも、菊の心理状態について断定するのは困難だろう。ましてや精神医学にも心理学にも門外漢の私があれこれ類推したところで、妄想の域を出ないのは目に見えている。それならば不確かな予断をもつのはやめて、ふだんの菊をよく知っており、累に憑依された菊と実際に会って、言葉を聞いた人の第一印象を尊重した方がよほどマシだと思うのである。菊=累はこう言ったのだ。

何事をのたまふぞや人々。我はきくにてはなし与右衛門がいにしへの妻に累と申女なり。我姿の見にくき事をきらひて、情なくも此絹川へ押ひてくびりころせし。其怨念をはらさんために来れり。今与右衛門法蔵寺に隠れ居るぞ。急ひで彼をよびよせ、我に逢せて此事を決断し、各々因果の理を信じ、わが流転のくるしみを、たすけてたべ。あらくるしやうらめしや

これを聞いた「心さかしきもの」はこう考えた。

今の詞の次第、中ゝ菊が心より出たる言葉にはあらす。いか様怨念霊鬼の所以と聞えたり。所詮彼が望にまかせて、与右衛門を引あわせ、事の実否をたヾさん

彼は「詞の次第」「言葉」に注目している。姿形はふだんの菊と変わりがなかったからだろう。見た目はいつもの菊だけれども、話しぶり、言葉遣いがまったく違っていた。彼らの知っている菊ではなかった。そうかといって嘘をついているようにも、何か夢を見てうわごとを言っているようにも聞こえない。言葉ははっきりとしていて、主張は明快である。そこで、なるほどこれは死霊に乗り移られたのだろうと判断した。事の実否をただそうというのは、累の主張である殺人事件の真偽をただそうということであって、累の憑依についてはまったく疑っていない。私はこの判断を、とりあえず受け入れておきたい。
これは二つの理由で重要な事柄であった。第一に、この「心さかしきもの」が「いか様怨念霊鬼の所以と聞えたり」と断定したことによって、菊の口を借りて語っている何者かは二六年前に死んだ累という女性だと村人たちに認定された。累の怨霊が公式に誕生したのはこの時だと言ってもいい。
次に、これがここでの本題だが、村人たちは累を怖がっていない。恐怖の感情の定義には諸説あるが、公約数的に言えば、我が身にとって危険なものや状況、またはそれを連想させるものに対する否定的な反応というところだろう。避けたいものが避けがたく迫ってくるときに覚える感情が恐怖の中心である。だから今いちばん怖い話とは地震津波原発事故である。ところで、累が菊に取り憑いた動機は、自分を殺した与右衛門への個人的怨恨からであり、具体的な要求は裁判をして白黒つけてくれ、というものだった。そうすると村人たちとしては、菊の人格が累に入れ替わってしまったのには驚いても累が怖いということはない。
そもそも、幽霊の出現それ自体は必ずしも怖いものではない。単なる幽霊の出現が怖いとすれば、それは死んだ人を、今は存在していないものとして営まれている私たちの生活の前提が脅かされるからであり、この傾向は、近代科学の恩恵を受けている社会ほど強いものかもしれない。
しかし、幽霊の出現を珍しいことだけれども時々は起こることと理解している人にとってはそうではない。実際、数ある幽霊談のなかには、しみじみとした話や心温まるいい話から笑い話までもが含まれている。だから、幽霊に遭遇すれば驚くには驚くが、相手が何者で、なんのために現れたのかがわかり、かつそれが我が身に危険の及ばないことであれば、「きゃー、お化けぇ」などと柳田國男が憤慨しそうな悲鳴をあげて逃げたりはしないのだ。そして、『死霊解脱物語聞書』における累の死霊は自らの意図を明確に語った。だからそれを聞いた青年たちも、ああ、かさねというと親たちの昔話に出てくるおばさんか、そう言えば与右衛門のおじさんが殺したんじゃないかって噂もあったなあ、と怖がりもせずに受けとめたのだろう。
ここまで『死霊解脱物語聞書』上下巻全十二章のうち、第二章にあたる「累が怨霊来て菊に入替る事」の一部を題材に、この怪談の何が怖いのかを書くつもりが、何が怖くないかばかり書き連ねてしまった。
ここからが本題なのだが、長くなりすぎたので今日はここまでとして近いうちにまた続きを書きたい。