古典の日

今朝、新聞を読んで、今日が古典の日だと知ってびっくりこいた。
古典の日を制定しようという運動があるのは知っていて、あれまあ錚々たる顔ぶれの先生方が集まってばかばかしいことに力を注ぐこともないだろうにと呆れた思いでいたが、まっさか本当に法制化していたとは。
かつては「新人類」と呼ばれた私だって古典は嫌いではない。それどころか、働かずとも食っていけるなら、日がな一日、古典を読みふけっていたいと思うほどである。
たが、それとこれとは違う。
今日が古典の日とされたのは、『源氏物語』のことが『紫式部日記』に記された日だからということだが、それなら11月1日は『源氏物語』記念日ではないか。
なんだかサラダ記念日みたいだが、あちらの方はかわいらしくてよろしいが、古典の日はそうはいかない。
サラダ記念日は、
 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 
なのであって、「君」との関係だけに由来する個人的な記念日である。それにこじつけて、農業団体や調味料製造業者たちが7月6日をサラダ記念日として宣伝するのも別に問題ではない。
うろ覚えだが、7月26日は幽霊の日だか怪談の日だかで、これは確か『東海道四谷怪談』初演の日にちなんだと聞いたことがある。これもおそらく民間の有志が唱えているもので、まことに結構なことである。
しかし、幽霊の日を法制化するとなったらどうか。それはお岩様の偉いことには違いないが、他の無数の幽霊の皆さんにしてみれば、なんだかなあということになりはしないか。
ともあれ、京都の観光協会とか、『源氏物語』愛好家の団体とか、文芸書の出版社とか、そういうところが、11月1日は『源氏物語』記念日、と唱えている分にはなんの問題もないのである。それなら『竹取物語』からも『万葉集』からも苦情はこない。
ところが、文化人やら国会議員やらはうすらバカがそろっていると見えて、たかだか『源氏物語』記念日にすぎないものを、公的に古典の日として法で定めてしまった。
これは、国会が法によって古典の基準を決めたということである。
日本国は、『源氏物語』を日本の古典文学の標準とすると法で定めてしまった。
これがどうしていけないのかわからない人と議論などするつもりはない。ただ、もしその人が国語教育や国文学研究に携わる人であったら、心の中でその人を軽蔑するだけである。
せめて、「ご」「テン」の語呂合わせで5月10日にすればよかったのにと思わないでもないが、それではオヤジギャグの日になってしまうか。