Web評論誌『コーラ』18号に寄稿しました

昨日は赤穂浪士討ち入りの日。ゆかりの深川や赤穂では記念行事が行われたとか。
さて、黒猫編集長の温情で今回もWeb評論誌『コーラ』に寄稿させていただきました。
季節柄、とりあげるなら忠臣蔵だろうと思って頑張ったのですが、ちょっと尻切れトンボで、岡田有生さんにツッコミを入れてもらいましたが、ボケ役の私が漫才にうといので上手くいきましたかどうか。
『コーラ』主力執筆陣である中原紀生氏や寺田操氏の詩論と比べると、私の文章はいかにも野暮ったい感じがします。次回は岡田氏かST氏にバトンをお返しして仕切り直そうかと思います。
以下、ご案内。
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20121215/p2

 ■■■Web評論誌『コーラ』18号のご案内■■■

 ★サイトの表紙はこちらです(すぐクリック!)。
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html

 ●現代思想を再考する5
 怨霊と祝祭、または世界劇場論的思考のために
 
  広坂朋信(コメント:岡田有生)
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-5.html

  忠臣蔵論争への挨拶
   忠臣蔵論争というものがあった。『仮名手本忠臣蔵』(以下、忠臣蔵と略記)は歌舞伎の人気演目だから、これをめぐる論争はいくつもあったろうが、ここで私が念頭に置いているのは、今年(2012年)の10月に亡くなった作家・丸谷才一と国文学者・諏訪春雄とのあいだで、1985年に交わされた論争である。論争のトピックスとなった忠臣蔵とそのモデルである赤穂事件については、現代でもたびたび舞台、映画、テレビドラマ化され、関連書籍も多数発行されているので端折らせてもらう。
  さて、この忠臣蔵論争の発端は、1984年に発表された丸谷による評論『忠臣蔵とは何か』(講談社)だった。民俗学や人類学を参照しながら、忠臣蔵とは御霊信仰を動機にしたカーニヴァル的演劇だと論じた丸谷は、同書の結論部分で「うんと大づかみに言へば、春と冬の対立と交替といふ自然界の循環の比喩の上に、将軍徳川綱吉あるいは徳川体制への呪ひを盛りつけたのが『仮名手本忠臣蔵』の基本の構造」だと自説を要約している。(以下、Webに続く)

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  ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
   第22章 バベルの後の詩人たち──和歌のメカニスム?
 
  中原紀生
  http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-22.html

  これより先の数章は、ラカン三体とパース十体(さらには、貫之三体と定家十体)の錯綜した関係(もしくは、無関係)をめぐる挫折した論考の後始末、いいかえれば、余情というよりは未練の、倒錯した残心の構えでもって試みた落穂拾いの顛末記です。いわば、「ラカン三体とパース十体・残」の巻。
 
 ■和歌という意識
 
  前章で、吉本隆明(『初期歌謡論』)による定家十体二重構造の説(定家十体を、幽玄様・長高様・有心様・事可然様・麗様という、「追いつめられた純粋詩」の世界に充てられる五つの歌体群と、見様・面白様・濃様・有一節様・拉鬼様という、「今様の歌曲俗謡の世界が、和歌的な声調に圧倒的な力で浸透してきたこと」がもたらす和歌形式の崩壊の危機への「何らかの意味での救抜(Erloesung)」のために設定された五つの歌体群とに二分する)をめぐって、純粋詩としての和歌を味わい、感銘を受けるためには、鑑賞者自らが作者となって、その当の歌をオリジナルな自作詠として「いひいだす」のでなければならない、といった趣旨のことを書きました。このことに関連する話題を二つ補います。(以下、Webに続く)

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  ●連載「新・玩物草紙」●
   庭 園/迷 宮

  寺田 操
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/singanbutusousi-8.html

  ベランダの鉢植えに蜂がやってくる。土に触るのは苦手、おまけに虫が怖いときている。野道で摘んだヨモギに青い小さな虫がついていたのを見つけて、草餅にする気にならず捨ててしまったとき、「虫がつくのは新鮮な証拠だよ」と笑われたが、虫愛ずる姫になどなれない。けれど、草木のないベランダは殺風景だからと、パセリ、クレソン、ローズマリー、ミント、バジル、ラベンダーなど、食べられる草の鉢植えや季節の花を少しだけベランダで育てている。コンテナで野菜を育てたことがあったが、ミニトマトもキュウリも茄子も苺も唐辛子も木の芽も、どれもこれも小さくしか育たなかった。書斎の窓際には、コーヒー豆などのいくつかの観用植物。小さな我が庭園だ。冬場は豆苗、人参、蕪、大根などの野菜の残りもので水耕栽培。数年前にスーパーの景品でもらった名も知らぬ植物は、妖しく伸び出していまや70センチの丈。次々と大きな葉をつけて緑の涼を運んでくれる。(以下、Webに続く)