「四谷怪談」を読む(十三)影の薄い伊右衛門

鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門は出世したいという彼個人の願望から妻お岩を裏切るが、『四ッ谷雑談集』(以下『雑談』と略)の伊右衛門はまったく受身で、御家人共同体の意志を代行する上司・伊東喜兵衛の言うなりに動く操り人形のようだ。
喜兵衛の意向を受けた伊右衛門が何をしたかは、『雑談』には直接描写はなく、お岩の長い独白のなかで語られる。
親兄弟もいない身の上で、夫の伊右衛門だけを頼りに(只伊右衛門殿独を神共仏共天共地共親共子共兄弟共思て)暮らしているのに、その夫は外で遊び歩いて、博打に入れ込み、その遊興費のためにお岩の衣類などを取り上げ、その上「赤坂勘兵衛殿長屋の比丘尼」を囲い女にして、それにも金をつぎ込み、おかげで朝夕の食事にも事欠く有様、云々。
この場面は「斯くてお岩のまた思ひけるは」と書き出されていて、あたかもその前に伊右衛門の行状について何か説明があったかのようだが、その内容はお岩の独白のなかで語られる趣向で、ここはまったく小説的な書き方をしている。というより、これは小説なのである。
この伊右衛門の奇行は喜兵衛の入れ知恵で、お岩に愛想を尽かさせ、お岩の側から離別を切り出させるための策略である。南北の『東海道四谷怪談』ではこの仕掛けを採らず、喜兵衛が介入する前から伊右衛門家庭内暴力をしていたことになっている。
「芝居」のお岩は次のように嘆く。
「常から邪慳な伊右衛門殿、男の子を産んだというて、さして悦ぶ様子もなう、なんぞといふと穀潰し、足手まとひな餓鬼産んでと、朝夕にあの悪口。それを耳にもかけばこそ、針の筵のこの家に、生傷さへも絶えばこそ、非道な男に添ひとげて、辛抱するもとゝさんの、敵を討つて貰ひたさ」。
「芝居」のお岩が辛抱しているのは、伊右衛門に父(左門)の敵討ちをしてほしいからだが、『雑談』のお岩は「只伊右衛門殿独を神共仏共天共地共親共子共兄弟共思て」いるところに違いがある。「芝居」のお岩と伊右衛門は、元は恋仲でいっしょになったが、一度別れて、今は殺された左門(実は伊右衛門が下手人)の敵討ちをするからという約束で復縁したという設定。手が込み過ぎていて、しかもこの真相をお岩は知らずに死ぬので後半への伏線にもなっていないのだが、これは伊右衛門の悪党ぶりを際立たせるほかに、サブストーリーであるお袖(お岩の妹)と直助の物語にリンクさせるためである。
一方、『雑談』の二人は、家を継ぐためだけの婿取り結婚だが、父母亡きあと夫一人を頼みにするお岩の心情に哀切を感じる。ただこれは前後のお岩の言動から思い描かれる人物像からみると違和感がある。父・又左衛門の死後、跡目をどうするかが問題になった時、お岩は自分こそが跡取り娘であり、その自分の意志を無視するなと御家人共同体に断固として抗議した。この独白の後半でも、伊右衛門の放蕩による家計の困窮に対して、自分が外に働きに出たいと考え、その後、だまされてのこととはいえ、喜兵衛に奉公をすすめられると喜んで仕事についた。『雑談』の描くお岩は、家庭にしがみつくタイプではなく、かなり独立心の強い人物なのである。これが出番が少ないにもかかわらず、お岩の印象を強くする。
これに対して、『雑談』の伊右衛門は影が薄い。又市の言うなりに婿に入って、喜兵衛の言うなりにお岩を追いだす。彼についての描写といえば、美男子であること、物腰が上品であること、冷静沈着であることなどが挙げられているが、ただ成り行き任せに生きているような印象しかない。この点は「芝居」の色悪ぶりと大きな違いである。
「芝居」といえば、今夏、歌舞伎座の幕見で菊五郎の『四谷怪談』を見てきたが、伊右衛門市川染五郎で、親子だけに声が松本幸四郎そっくりで迫力があった。その前に福助がお岩を演じたとき(新橋演舞場)の伊右衛門中村吉右衛門で、これも長谷川平蔵なみに迫力があった。その前、故・中村勘三郎がお岩をやった時は、確か、幸四郎伊右衛門だった。迫力がありすぎた。二十年ほど前、亡き親友の家で見せてもらったビデオは坂東玉三郎のお岩に、片岡孝夫(いまの仁左衛門)の伊右衛門で、これは別の意味で迫力があった。こわもての幸四郎吉右衛門とは違うニヒルな感じが出ていて、なるほど色悪とはこういうものかと思った。染五郎伊右衛門は、親父よりもこの孝夫に近い色悪だった。
何が言いたいかというと、「芝居」の主人公はやはり伊右衛門なのである。ハンサムな悪党、伊右衛門の酷薄ぶりを耽美的に見せるのが南北の主眼だったろう。ところが『雑談』の伊右衛門は、すすめられて婿に入る、そそのかされて妻を裏切る、そして後半では祟りを恐れて右往左往する、実に受け身の人間で、主役を張れる器ではない。
もちろん、『雑談』でも伊右衛門がお岩に殴る蹴るの暴行を加える場面があって、それは酷いには違いないが、ぎらつく欲望も悪の美学もない。意志の弱い男が喜兵衛の描いた筋書きを演じているだけなのが見え透いている。つまり、『雑談』前半のドラマの構図は、あくまでお岩対喜兵衛であって、伊右衛門御家人共同体の意志をバックにした喜兵衛の手駒にすぎないのである。