予定稿

ご無沙汰しております。
12月は不吉な月です。
教育基本法改悪のときも、ちょうど12月だったものですから、あのときのことを思い出します。
あれ以来、街頭にクリスマスソングが流れると、何か嫌な法律ができるのではないかと憂鬱になります。
今年、杞憂が現実のものとなりました。
教基法のときとの違いは、マスコミの反応です。
あの頃、私たちはやきもきしたが、マスコミからすれば、あれは教員組合だけが騒いでいるもので、自分たちには関係ない、なぜなら自分たちは教員ではないから、というつもりだったのでしょう。
ちょっと、ニーメラーの警句を思い出しました。丸山真男「現代における人間と政治」(『現代政治の思想と行動』所収)から孫引きします。

「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分では社会主義者でなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。」(Mayer,op,cit.,pp.168-169)

2006年の教育基本法改悪の際には、これは言論の自由を制約する政策体系構築の布石であると読んだ人々が早くから反対運動に立ち上がっていた(教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会は04年から)が、マスコミは冷淡でした。当時、マスコミの反応は鈍く、法案の問題点もそれを指摘する反対運動もほとんど報じられませんでした。
そして月日は移り、今度はマスコミの取材活動を制約する秘密保護法案が出てきたときにマスコミはようやく動きました。
さすが、大新聞が気合いを入れると影響力がありますね。短期間のうちに大勢の人が国会まで足を運ぶようになりました。
しかし、時すでに遅し。強行採決は、批判者に無力感を、支持者に全能感を与える上で効果的な手法であるから政府与党はきっとそうするだろう、というのが私の観測です。
おそらく次は大学か、司法が狙われるのでしょうか。
考えすぎでしょうか?

12月5日参議院会館裏にて