「四谷怪談」を読む(二十六)すきま風

旧暦で七月十八日というから、今ならお盆明けの頃だ。
前回その前半をたどった『四ッ谷雑談集』中巻第二章「田宮伊右衛門屋敷不思議有事付四男鉄之助死事」の後半の話だが、前半で語られた伊右衛門宅に謎の男が通っているという噂にふりまわされた事件から一年くらいたっているかもしれない。
底本には次のように書いてある。

されば伊右衛門娘を失て歎きながらも過行月日重り去者は日々にうとく七月十八日はお菊が三囘忌なれば法事執行したりけり。

七月十八日は、今風にいえば、伊右衛門とお花の結婚記念日ということになるのだが、末娘お菊の命日になってしまった。
三回忌は今と違って三年目にやっていたから、これはお菊死去から三年目のことである。この章の前半はお菊の死の翌年の事件だったから、一つの章のなかで一年過ぎた勘定だ。
伊右衛門夫婦のあいだには隙間風が吹いていた。
お花は口をとがらせて言う。
「末娘のお菊は鉄砲の音に驚いて死んだのだから、お前さんは我が子を撃ち殺したようなものだ。理由もなく家のなかで鉄砲をうちなさるとは何を考えているのだか」
伊右衛門は、どうせ人はいつかは死ぬものだとか、なまじ育ってから死なれた方がもっと辛いとか、気休めを言った挙句、「是には可有謂なれば餘り深は泣給ふな」と、つまり、菊が死んだ理由に心当たりがあるようなことを口走るが、その中身については愛妻に打ち明けていない。
これには謂われが有ると思い当たったのは、お岩の幻を見たからだろう。けれども、先妻との離縁の経緯についてうしろ暗いところのある伊右衛門は、そのことを恋女房のお花に打ち明けることができずにいたのだった。
心理劇風に演出するなら、ここはたっぷり間を取って描きたいところである。
人を正しく信じるというのは、なかなか難しいが、それができれば一つの徳である。お花は賢妻であるから、伊右衛門が洗いざらい打ち明けていれば、この後の悲劇のいくらかは被害を減らせたかもしれないが、それができないところに伊右衛門の弱さがあった。
それはともかく、底本には解釈に迷う表現があった。
伊右衛門はお菊の三回忌にあたって、「旦那寺の長老を請し怠心饗応して晩景に及びければ長老も帰ける」というのである。菩提寺の住職を招いて法事を行ったのだが、「怠心饗応」とはなんのことか。初めは「怠りなく饗応して」の誤記かと思ったが、あとの記述を見るとこれでいいらしい。どうやら心をこめて法事をしたのではなく、おざなりにすませたということのようだ。
夕方に住職が帰ったあと、近所の人たちを呼び集めて宴会となった。土快もきて、「こんなときだが、月をながめ、連歌でもして夜も更けるまで遊ぼうじゃないか。なにはともあれまず酒だ」と、景気をつけた。
湿っぽいのが苦手で、何かというと、パァーッと盛り上げようとするのはバブル世代の悪癖の一つらしいが、土快にもそうしたところがあったかもしれない。
それはともかく、女性たちもまじえての宴会となった。酔いがまわるにつれて、法事の席だからとの遠慮もなくなり、小唄も飛び出して盛りあがった夜七時か八時を過ぎたころ、怪異が起きた。
怖いのはここからなのだが、また後日。