遅ればせの親孝行

もう一ヶ月くらい前のことなのだが、八十過ぎの老母に付き添って神戸に行った。
なんでも華道の免状がもらえるとかで、その授与式が神戸のホテルで開かれる。免状を受け取るだけなら郵送もしてもらえるのだが、せっかくだから神戸というところに行ってみたいと言うのである。
幸いなことに私の母は大病を患っているわけではないが、齢も齢だし、元気というわけではない。年に一度、墓参りに付き添うのだが、足腰が弱っているので新宿駅池袋駅で電車を乗り換えるだけでも一苦労である。
そこで荷物持ち兼道案内ということで、私が連れていくことになった。
老母は、ふだんから遠出をする人ではなく、箱根から西へは行ったことがない。せっかくだから、途中下車して京都も見せてやりたいなどと欲張っていると、準備もたいへんだったが、それはどうでもよい。
はじめての関西旅行に母は喜んだ。新幹線の車中で食べた駅弁がいまいちだったことと、帰りにお土産を買う時間が短かったことをのぞけば、始終上機嫌で、はじめて見る風景に子どものようにはしゃいでいた。
一か月ほどたった今でも写真を見ては、楽しかった、京都に行った、神戸に行ったとくり返しているのだから、母視点からはどんなに楽しい旅だったかは想像にかたくない。
けれども、私はそれを聞いて後悔している。
京都に行ったと言っても、母が若いころ、その東京支店に勤めていた有名漆器店の本店に行っただけなのである。母の記憶があいまいだったおかげで、八坂神社のあたりをうろうろするおまけはついたが、京都観光の定番、三十三間堂やら清水の舞台やらも、ルート上にあったのだが、行けずじまい。
神戸に行ったと言っても、滞在中はホテルから一歩も出ていない。もっとも、華道の団体がとってくれたのはホテルオークラ神戸の、港町を一望できる部屋で、充分に景色を楽しんだし、さすがに料理は美味いしサービスはいいし、文句はないのだが、すぐそばにあるメリケン波止場にも南京町(中華街)にも行かなかった。
それもこれも、高齢の母は歩くのがとてもゆっくりで、私が思っていた以上に移動に時間がかかったからなのだが、せめてあと一時間早く東京駅についていれば三十三間堂くらいは行けたんじゃないかとか、帰り支度をもう少し手早くすれば中華街でお土産を買う時間くらい作れたんじゃないかとか、後悔することしきりである。
今回、老母に付き添って痛感したのは、体力的にこれが最後の関西旅行になるだろうということだった。親孝行はできた。母は喜んだし今でも喜んでいる。だが、母が旅行を懐かしめば懐かしむほど、その旅が私としては満足のいくものではなかったことが悔やまれる。
私の場合、家庭の事情で、一時、両親と疎遠になる時期があったため、これも仕方ないといえば仕方ないのだが、親孝行をする気があるなら出来るうちにしておいた方がよい、それもできるなら早めに、という、自分自身にとってはもう活かす機会のない教訓を得たのであった。

そして、昨夜

昨夜、この神戸旅行の帰りに新神戸駅の土産物屋で買ったお菓子の残りを食べたら、腹を下して明け方までトイレの住人になった。親不孝者への天罰だろうか。