沖縄怪談「チーアンマー」

沖縄怪談がわからんわからんと言っているが、なにも崎原恒新『琉球の死後の世界』(むぎ社)が説明不足でよろしくないと言いたいわけではないのである。
そもそも『琉球の死後の世界』は、沖縄生まれで長く沖縄県内の教職や教育関係の公職を歴任してきた著者により、沖縄市の出版社から公刊された出版物で、おそらく日本の読者を想定していない。形式的には標準語で書かれているが、これは漢文読み下しみたいなもので、ベースは琉球語で、それを標準語を使って表記したものだと理解した方がよい。
だから、日本生まれで日本育ちの私には、沖縄の歴史や地理や文化や社会生活や気候風土などについて基本的な理解が欠けているのでわからないということである。
もちろん、日本国内でも、各地方ごとに独自の文化や歴史があって、知らないとわからない、あるいは知識としては知っていても感覚的にピンとこない事柄はいくらでもある。秋田県北部の山村で生まれ育った私の母はタヌキとムジナとマミの区別がつく(らしい)。また、鹿児島県生まれの妻の母は河童とガラッパは違うと断言していた。母たちのこうした弁別能力は秋田なり鹿児島なりの地域で形成された文化的感覚とでもいうべきもので、戦後の東京で生まれ育った私にはもうわからないのである。
こうしたことはあるが、それでも、少なくとも日本では地域ごとの違いもあるけれども共通部分も多い。共通部分も多いからこそ互いの違いを比較することも容易にできるのであって、まったく見当もつかないということはない。ところが、沖縄の場合、言葉からして違う。
例えば、次の説明はどうだろう。

那覇の岩崎トシ(七八年九月三〇日談)によれば幼少の者(ユース小)が亡くなるとあの世で子守りをする者がいる。この人のことをアナーアンメーという。それで、子どもの年忌法要のときにはお礼としてアナーアンメーにもウチカビ(冥銭)を三枚焼くという。アナーアンメーはチーアンマーと同義である。

「ウチカビ(冥銭)」は紙銭のことかなと見当がつくからいいとしても、「幼少の者」に「(ユース小)」と割注がしてあるがわからない。極めつけは「アナーアンメーはチーアンマーと同義である」。「アナーアンメーはチーアンマーと同義である」と言われて、なるほどねとうなずく人は沖縄人だけだろう。
もちろん、『琉球の死後の世界』にはちゃんとチーアンマーの説明がされていて、「死後の世界で幼き児を育てることを担当し、かつ、それに執心する女性の妖怪がチーアンマーと呼ばれるものである。チーは乳のことでアンマーは母の方言である。直訳すれば乳母ということになる」とある。しかし、それならアナーアンメーは乳母のことかと受けとると、おそらくずれてしまうのだろう。
琉球語の語感、それをささえている沖縄の文化と歴史がわからないから、わからないものはわからない。
例えば、この『琉球の死後の世界』の巻末には資料編3として「琉球弧に見られない幽霊・妖怪達」が挙げられている。アイウエオ順であずき洗いから始まっているが、最初に思いついたのは当然、雪女だろう。他に河童、狐憑き、座敷わらし、たんころり、天狗、一つ目小僧、二股猫、山姥、ろくろ首など、日本でメジャーな妖怪はほとんど琉球弧に見られないのだそうだ。これだけベースが違えば、わからんものはわからん。モーニング娘。AKB48くらいに違う。ん?比喩が適切ではないな。
ところで、このリストのなかに産女が入っているのに興味を引かれた。実はチーアンマーの話を読んだとき、これは産女の親戚ではないかと思っていたからだ。
チーアンマーは、死んだ子どもを育てるだけでなく、子どもを育てたいあまりに生きている子どもをあの世に連れて行ってしまうこともあるそうな。これは最近まで現実のこととして語られていたというから沖縄恐るべし。
だとすると、これは産女の姑獲鳥的要素、ウバメドリと似てくる。と、思ったのだが、崎原恒新氏が産女を「琉球弧に見られない幽霊・妖怪達」の一人として挙げている以上、何となく似た部分もあるなあという感想に留めておくべきだろう。

与論島の「うぐみ」

しかしおかしいなあ、どこかで沖縄の産女の記事を見た記憶があるんだけれどなあ、とぼやきながら、何冊か手元の本を当たってみたけれど見つからず、あきらめて上記のように書いたのだが、その後、別の関心から今一度、崎原恒新『琉球の死後の世界―沖縄その不思議な世界』を開いたらそこにあった。
巻末の「資料編2沖縄に見られる妖怪等一覧」に「うぐみ(与論島)難産で死んだ者の死霊」とある。
これって産女じゃん!とのけぞった。
いやいや、吾が母のようにタヌキとムジナとマミは違うという人もあれば、義母のようにがらっぱと河童は違うという人もいるのだから、与論島で伝えられる「うぐみ」と日本の産女とは違うものなのかもしれない。短慮は禁物。
他に適当な材料は手元にないし、現地の事情はわからないし、この辺にしておこう。

与論島は鹿児島県

妻とのおしゃべりの中でたまたま与論島の地名が挙がったので、そう言えば…、と上記のような話をしたら、「えっ、与論島って鹿児島県だよ」と指摘された。念のため調べてみると、確かに与論島は鹿児島県だった。
鹿児島県最南端の島ということで、もしかすると沖縄と文化的に近いのかもしれないが、行政区分では鹿児島県であり、琉球弧には含まれないのかもしれない。
とにかく、土地勘がないので、もうお手上げ。

追記10.15

昨日、10/14の勉強会で、沖縄出身の人と奄美出身の人と同席したので、これ幸いと上記の疑問について尋ねてみた。
答えは簡単。与論島も含まれる奄美諸島は、行政区分では鹿児島県だが、もともと琉球弧の一部であり、明治の琉球処分(処分って嫌な響きだな)の際に鹿児島県に編入され、以来、同化政策によって琉球の文化から切り離されたため、かくのごとき混乱が生じるのであった。
ちなみに沖縄出身の人も奄美出身の人も、「うぐみ」という妖怪は記憶していないとのことだった。