福岡と佐賀

とっくに終わっていなければならなかった仕事と、納期目前なのにまだ手つかずの仕事があって焦っている。他にも準備に取り掛かりつつある仕事が二つ。
仕事があっていいねと言われるが、自営業なので、仕事をしているだけでは収入にならない。仕事を終えて費用を回収して、その上でなお利益が残せるか、そのための仕事もしなくてはならない。
だらだらやっているわけではなく、調べれば調べるほどあとからあとから問題が出てくるので、終わったようで終らないのである。
それでも、なんとか時間を作って、先週、福岡の妻の実家に地震見舞いに行ってきた。
熊本の友人のことも気になったが、現地の事情にうとい私が押しかけても何の足しにもならないどころか足手まといになるだけだろうからやめておいた。
訪ねたのは福岡市と佐賀市だけだが、会う人ごとにまずは地震の話題であった。熊本と違って九州北部は大きな被害はなかったようだが、やはりショックは大きかったらしい。いまだに余震が続き、その震源も熊本だけではないから、次はどこに来るのかと不安にもなるだろう。
博多の駅前は新しいビルができたりしてずいぶんとにぎわっていたが、なんとなく渋谷に似てきていて、もう少し博多らしさを残してもいいのにと思ったりした。
大通りに面したビルの壁面に、閉店したはずの福家書店の看板だけが残っていて、なんだか寂しい気持ちになった。
福家書店は、今は寝たきりの義父が学徒動員された長崎で被爆した体験を寄稿した記録集を置いてもらっていた書店である。それを東京から来た婿に見せようと、はりきって博多を案内してくれたが、思えばその頃から物忘れや時間の混乱が起きていた。もっと早く気づいていれば、もう少し元気でいてくれたのではないかと悔やまれてならない。
幸いにも義母は元気で、私たちと佐賀まで同行してくれた。
佐賀駅はなんだか阿佐ヶ谷駅に似ている。違うのは駅前の人の少なさだ。佐賀出身の芸人が佐賀には何もないと自虐的に歌うコミックソングがかつて流行ったが、たしかにさびしい。ただし、美人は多かった。
本当は何もないわけではなく、佐賀城址をはじめ、名所旧跡もいくつもあるのだが、観光地化されていないし、たぶん観光名所として売り出そうという気もないのだろう。
佐賀城址にある博物館にも立ち寄ったが、江戸時代の鍋島家の善政を讃え、明治維新に果たした役割を誇るばかりで、それは事実なのだが、つまり面白みがないのである。
タクシーの運転手さんに「あまり観光地化されていないのですね」と話しかけたら「佐賀の人は『葉隠』で教育されているからくそ真面目なんですよ」と自嘲気味の答えが返ってきた。
しかし、『葉隠』も武士道の教訓を説くのは前半だけで、鍋島家や藩士に伝わるエピソードを記録した後半を読むとなかなか面白い記事がたくさんある。現在の気風は、あるいは近代化の過程で醸成されたものではないのだろうか。