思想

ニセ哲学史(エイプリルフール)

まだギリギリ四月一日だよね。 これから書くことはもちろんエイプリルフールです。 ニセ哲学史というものを思いついた。 要すれば、確認しようのない起源をねつ造すれば何でも言えるというわけだ。 ドイツの哲学者カール・レーヴィットは、ユダヤ系であった…

藤田省三『精神史的考察』メモ「或る喪失の経験」二

さて、藤田省三「或る喪失の経験」、ようやく第二節だ。 この節は簡単にすませたい。というのも、少し先回りしておけば第三節で藤田自身が次のように整理しているからだ。 成年式についての話がついつい如何にも体系的な説明のようなものになってしまったの…

藤田省三『精神史的考察』メモ「或る喪失の経験」一続

先日の日記で、藤田省三のエッセイ「或る喪失の経験」でふれられているロダーリ『ファンタジーの文法』の「なぞなぞの構造」から「なぞなぞはどうして子どもたちにかくも人気があるのだろうか。確かなことは言えないが、かれらの現実克服の経験を集約的に描…

藤田省三『精神史的考察』メモ「或る喪失の経験」一

藤田省三『精神史的考察 (平凡社ライブラリー)』の巻頭に掲載されているエッセイ「或る喪失の経験」は、「路地で子供の隠れん坊遊びを見掛けなくなってから既に時久しい」という印象的な文章で書き出され(はじめに)、隠れん坊遊びの意味を問うていく(一)…

藤田省三『精神史的考察』抜き書き

万年床の下から発見された藤田省三『精神史的考察 (平凡社ライブラリー)』「或る喪失の経験」より。 入って来た金の額の増減だけに気を取られないで、失われたものについての自覚をしっかり持っていないと、金もうけだけは必要以上にしたけれどもその代り生…