藤田省三『精神史的考察』メモ「或る喪失の経験」一

藤田省三精神史的考察 (平凡社ライブラリー)』の巻頭に掲載されているエッセイ「或る喪失の経験」は、「路地で子供の隠れん坊遊びを見掛けなくなってから既に時久しい」という印象的な文章で書き出され(はじめに)、隠れん坊遊びの意味を問うていく(一)。

かくて隠れん坊とは、急激な孤独の訪れ・一種の砂漠経験・社会の突然変異と凝縮された急転的時間の衝撃、といった一連の深刻な経験を、はしゃぎ廻っている陽気な活動の底でぼんやりとしかし確実に感じ取るように出来ている遊戯なのである。すなわち隠れん坊は、こうした一連の深刻な経験を抽象画のように単純化し、細部のごたごたした諸事情や諸感情をすっきりと切り落して、原始的な模型玩具の如き形にまで集約してそれ自身の中に埋め込んでいる遊戯なのであった。そうしてこの遊戯を繰り返すことを通して、遊戯者としての子供はそれと気附かない形で次第に心の底に一連の基本的経験に対する胎盤を形成していったことであろう。それは経験そのものでは決してないが、経験の小さな模型なのであり、その玩具模型を持て遊ぶことを通して現物としての経験の持つ或る形質を身に受け入れたに違いない。

遊戯は経験の模型であるという着想が面白い。そして、「遊戯上のこの経験の核心の部分に影絵のように映っている「実物」は一体何か。すなわち隠れん坊の主題は何であるか」と問う。

窪田富男氏が訳業の労をとられたG・ロダーリの指摘に従って端的に言うならば、この遊戯的経験の芯に写っているものは「迷い子の経験」なのであり、自分独りだけが隔離された孤独の経験なのであり、社会から追放された流刑の経験なのであり、たった一人でさまよわねばならない彷徨の経験なのであり、人の住む社会の境を越えた所に拡がっている荒涼たる「森」や「海」を目当ても方角も分からぬままに何かのために行かねばならぬ旅の経験なのである。

一昔前の知識人が一般読者向けに書いた文章は、往々にして注も付けず参考文献も挙げない。この藤田の文章もそうである。さいわい山勘がはたらき、どの本のことか見当がついたので、おかげでロダーリ『ファンタジーの文法』を読み返すことができた。
藤田の言っている「ロダーリの指摘」とは「なぞなぞの構造」について書かれた以下の文章のことだと思われる。

なぞなぞはどうして子どもたちにかくも人気があるのだろうか。確かなことは言えないが、かれらの現実克服の経験を集約的に描いた寓意がともいうべき形をとっているからではなかろうか。(中略)
思うに、かくれんぼもなぞなぞあそびと無関係ではない。なぞなぞとの主な内容上のちがいは、置き去りにされたり、ひとりぼっちにされたりすることの恐怖を、ためしに味わうことである。あるいは、迷い子になる恐怖である。たしかに、親指小僧は森の中で「迷い子あそび」をやっている。見つかることは、みんなの世界にもどり、自分の権利を取りもどし、再生するのに似ている。はじめぼくはいなかったのに、今はいるのだ。さっきは消えてしまったのに、また出てきたのだ。
こうした挑戦を通じて、子どもの自信と、成長力と、生きていることや知ることのよろこびはさらに強くなる。(ロダーリ『ファンタジーの文法』より)

『ファンタジーの文法』を読み返すにあたって、初めは、上記に引用した文章に気付かずに読み飛ばして最後まで読んでしまったお陰で、ロダーリが別のところ(「おとぎ話に耳をすます子ども」)でも、同じ「親指小僧」を題材にして関連しそうなことを言っていることに気付くことができた。詳細な引用注があったら該当箇所だけを拾い読みしただろうから、味わえなかったかもしれない経験だった。

もし、ママもパパもいないときに、だれかほかの人がこの同じ物語を聞かせるとすれば、こんどは子どもをおびえさせることになる。だがこれは、子どもが《捨てられた》という条件を再現しているからにすぎない。もしママが帰ってこなかったら? ここに突然の恐怖の根源がある。これこそ、《聞く軸》の上に投影された、意識下の不安と孤独の体験の影である。子どもが目を覚まして、なん度もなん度も呼んだのに、だれも答えてくれなかった、あのときの記憶である。だから、だれでも同じ法則に従って《解読作業》をするなどということはない。私的な、まったく個人的な法則にしたがっているのだ。《聞き手》のタイプについては、まったくおおまかにしか語れないし、事実、同じ聞き手などいるものではない。(ロダーリ、前掲書)

ここでロダーリは、おとぎ話を聞く経験について、語られているものがたとえ同じ物語であっても、聞かされる状況、語り手と聞き手の関係などによって異なる経験が生じることに注意を喚起している。当然と言えばそれまでのごく自然なことがらの指摘かもしれないが、案外忘れられがちなことだと思う。

ファンタジーの文法―物語創作法入門 (ちくま文庫)

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