『パイドロス』三

さて、しばらく恋愛の負の側面について語っていたソクラテスはまたもや話を中断する。
その理由は「もしエロースが−事実そうなのだが−神ならば、あるいは何か神にゆかりのあるものならば、少しも悪いものでありうるはずがない。それなのに、いましがたのあの二つの話は、エロースについて、それが悪いものであるかのような口ぶりで語っていた。ここにまず、エロースに対して罪を犯していた」(p48)ということなのだ。キリスト教神学には、神の本性は善であるがゆえに悪がこの世に存在するのはなぜかという議論があったはずだ(何とかという名前がついていたのだが思い出せない)が、その起源はこのあたりにあるのかも知れない。一神教キリスト教と違って、古代ギリシアの宗教は多神教だから悪しき神も存在してよいはずだと思うのだが、プラトンはそう考えてはいなかったということか。
閑話休題。そうしてソクラテスは「エロースのことを悪く言ったかどで何か罰をうけるより一足さきに、エロースに取り消しの詩(パリノーディアー)をささげて償いをするようにつとめるのだ。さっきのように恥ずかしがって顔をかくしたりしないで、堂々と頭を出してね。」(p49-50)と言って、新たな物語を語り始める。これは「エロースがアプロディテの子で、神であると信じて」(p48)いるからこそ言える事柄ではないだろうか。ただしヘシオドス『神統記』ISBN:4003210719「不死の神々のうちでも並びなく美しいエロス」(p22)は原初のカオス、ガイア、タルタロスにつづいて生まれた、とされているからギリシア諸神の関係について複数の系譜が伝承されていたことがうかがえる。プラトンはそのうちの一つ、エロースをアプロディテの子とする伝承の信奉者だったのだろうか。
ちなみにエロスのことならば『饗宴』饗宴 (岩波文庫)に出てきたはずと思って頁を開いたらファイドロス(たぶんパイドロス)がヘシオドスを引用して「エロスが最古の神々のうちにある」と主張していた(p56-57)。もっとも『饗宴』にはエロスをポロス(術策の神)とペニヤ(窮乏)の子とする説(P108)もあってなんとも言えない。
いずれによ、ソクラテスは自らが語っていることの主題(恋愛・エロース)が神か、神にゆかりのあるものであるから、それを悪いものであるかのような口ぶりで語ることは罪であったとして、話を中断したのである。
とはいえ本書『パイドロス』は、パイドロスの語ったリュシアスの恋愛論、それに対抗して語られるソクラテス恋愛論、という形で進行しており、ここからいよいよソクラテスは「顔をかくしたりしないで」、つまり自分の持論を積極的に語ろうとする場面であるから、エロースの神に対して罪を犯していた云々というのは、レトリックにすぎないかもしれない。