竜宮はここ?

実は半月ほど前、妻の実家の法事で鹿児島を訪れたのだが、開聞岳の周辺を案内してもらった折りに長崎鼻という岬で、伝説の竜宮はここ、とか、豊玉姫ゆかりの地、とあるのが気になっていて、どんな伝説だったか確かめておこうと思ってそれっきりになっていたからだ。
豊玉姫という人名だけを頼りにパラパラめくっていたら、開聞岳一帯が舞台となった伝説というのは「海幸彦・山幸彦」の説話のことだったことがわかった。
海幸彦・山幸彦の物語は有名だから省略する(浦島太郎、鶴女房、雪女を連想した)。
兄・海幸彦から借りた釣り針をなくした山幸彦が塩土老翁(これは『日本書紀』の表記)に教えられて行った海神の宮、すなわち竜宮が開聞岳一帯なのだという。竜宮というと海の底か遠い島だと思っていたが海岸沿いとはいえ陸上にあったとは驚きである。本当かどうかは歴史学・考古学の世界で論じられるべきことであって私のような素人はその任に堪えない。
ただ『古事記』を読んで一つ気づいたことがあるのでメモしておく。
山幸彦は目指す竜宮について塩土老翁から次のように教えられた。
「魚鱗の如造れる宮室、それ綿津見神の宮ぞ。」(p72)
この文言のある頁の脚注欄には、「魚鱗の如造れる宮室」というのは「うろこのように屋根をふいた宮殿」のことであり、『楚辞』九歌河伯編に先行用例がある、と注してある。
これはこれでたいへん興味深い話なので、いつか読んでみたいと思うが、いまはこの注に異見を述べたい。
「魚鱗の如造れる宮室」を「うろこのように屋根をふいた宮殿」と解するのは、宮殿の屋根のかたち、または屋根の模様のかたちが鱗形だという理解だろうが、この宮室が建造物だとは限らないのではないか。
私が念頭に置いているのは開聞岳の姿である。薩摩富士とも呼ばれる開聞岳は、すっきりとした三角形で、実際は陸続きなのだが見る角度によっては海から突き出ているようにも見える。そこで思ったのだが、「魚鱗の如造れる宮室」とは三角形(つまり鱗形)の開聞岳そのもののことではないだろうか。もちろん『古事記』にある「綿津見神の宮」とは開聞岳だと積極的に主張したいわけではない。そうも思えるし、そう思った人が私の他にも幾人もいそうだ、と思ったまでである。