心理トリックか妄想か

八木秀次『反「人権」宣言』のどこを探しても、子供が「ナイフを振り回しつつ、それを注意されると「人権侵害」の声をあげ」た具体的な事実は出てこない。
かわりに出てくるのは次のような事例である。
どちらも同書の冒頭「はじめに」の中で紹介されている。

数年前、栃木県黒磯市の市立中学校で、授業の休憩時間、一年生の男子生徒が女性教師に、廊下で突然ナイフで襲いかかり刺殺するという事件が起こった。そしてこれを皮切りに、まるで堰を切ったかのように、全国各地でナイフやエアガンを使った子供たちによる殺傷事件−−しかもその多くが学校内で起きる−−が頻発した。(八木、p7)

これは一九九八年に起きた事件である。

 事件が頻発している最中、ある新聞の特集記事で、神奈川県の私立中学・高校の教師の体験が紹介された。
 この教師の勤める学校でも、校内でナイフを見ることは少なくない。あるとき、生徒との間で次のような会話があったという。
「「危ないよ、どうしてそんなもの持ってるの?」「別に。ロープ切ったりとかするだけだし」チャッと音を立ててバタフライナイフが開いた。「それ、こわいよ、持ってくるのやめてよ」「おれが何かすると疑ってるわけ? それって人権侵害じゃん」」(『朝日新聞』一九九八年二月三日付)(以上、八木、p8)

念のため言っておくが、ここで八木氏が挙げている二つの事例は、どちらも「「人権」の立場から見れば」、生徒の行為は教師または他の生徒に対する人権侵害またはその可能性のある行為として非難されるべきことである。
しかし、問題は八木氏の言う「ナイフを振り回しつつ、それを注意されると「人権侵害」の声をあげる子供たち」はどこにいるのか、ということだ。
黒磯市の事件では、子供は「突然ナイフで襲いかかり刺殺」しているのであって、「ナイフを振り回しつつ、それを注意されると「人権侵害」の声をあげ」たわけではない。
朝日新聞記事の神奈川県の事例では、ナイフを持っていることを注意された子供がナイフを開き「それって人権侵害じゃん」と言い返してはいるが、「ナイフを振り回しつつ」ではない。
こうした似ているように見えるが、よく見ると違う事柄を挙げて、その後で「ナイフを振り回しつつ、それを注意されると「人権侵害」の声をあげる子供たち」という事実かどうか確認されていない光景を記述するとはどういうことなのか。
八木氏の著書を「はじめに」から読んだ読者の頭には、黒磯市の殺人事件と「それって人権侵害じゃん」と開き直る子供についての新聞記事がインプットされているだろう。
勘ぐってみれば、八木氏の記述は「ナイフを振り回しつつ、(教師を殺害し)それを注意されると「人権侵害」の声をあげる子供たち」という実在しない情景を読者に印象づける効果を持ってはいないだろうか。
もちろん、そこまで考えてのことではないかも知れない。そうだとしたら、これは八木氏の妄想がたまたま言葉になっただけ、というべきだろうか。