追記

一般論として「受け止めがたい出来事を受け止めるために(あるいは隠蔽するために?)「物語」」が必要とされる、という考え方については私も同意見です。生活のさまざまな場面でそういうことは行われているでしょう。ただ、どのような文脈でそれがなされているのか、ということについての判断は慎重にしなければならないと思います。
結局、森さんへのお返事になってしまいました。語るに落ちるとはこのことです。大塚英志氏の新書への書評についていただいたコメントも含めて、怠惰な中年脳によい刺激を与えてくださり、ありがとうございました。